「冷やし中華、はじめました」
というラーメン屋の手書きのビラ。きっと見たことがあるだろう。
ポスターと呼ぶにはお粗末な、かといって配布しているわけでもなく店内に掲示してあるだけなのでチラシとも呼べない、白いコピー用紙に黒く書かれた文字。何なら横に赤ペンで線とか点とかの装飾がある。
あの味があるビラはもはや夏の風物詩。俳句や短歌の季語にしても良いはずだ。
ただし実際に俳句や短歌に組み込むとやや使い勝手は悪い。
冷やし中華、好きですか?
実際のところ、皆様は冷やし中華って好きですか?
僕は普通。マジで普通。冷し中華フリークには申し訳ないけども、本当に普通。クラスの目立たない人畜無害な空気な奴と同じくらいの感情。
普通なゆえに、ラーメン屋さんに行っても注文しない。
ラーメン屋さんってラーメンを食べたくて行っていることが多いわけだし、いくら冷やし中華のメニューを見ても「おっ、じゃあ冷やし中華にするかー」とはならない。悪いとは思ってる。
毎年これくらいの季節になんとなく「あー冷やし中華が始まったんだなーそういう季節かー」と感じ、いつの間にか「あれ、そういえば冷やし中華終わってるな…」となる。
うん、あれだ、セミみたいなもん。
冷やし中華の歴史
ラーメンは中国から日本に入ってきて独自のアレンジがされたものだという事は広く知られているが、実は冷やし中華の歴史は古代のエジプトまで遡る。
あ、嘘です。真っ赤な嘘。#FF0000って感じの嘘。許してください。
許されたものとして解説に戻る。
ラーメンと同じく中国をルーツに持つが、日本での認知度が高まったのはラーメンよりもずっと後。
ラーメンは江戸時代末に横浜や神戸、長崎等に整備された中華街にて知られるようになる。明治時代には東京へ進出、志那そば・南京そばとして知られた。
対して冷やし中華は昭和初期に日本の文献に登場する。中国の涼麺(リャンメン)をルーツにしているものの、その味や作り方は大きく異なる*1。
冷し?冷やし?
当記事ではこの本当にどうでもいい問題にも真面目に切り込む事にする。
ちょっと長くなるので、文法アレルギーの人はさっとスクロールしてほしい。
大丈夫、結論だけ先に書いておく。「どちらでも正しい」。
実は文法的に見るならば「冷し」が正解である。
「ひやす」はサ行5段活用であり、「ひや(語幹)+[サ行の活用語尾]」という形を取る。ひや+さ+ない、ひや+す+とき、のように。
送り仮名のルールとしては「語幹=漢字、活用語尾は平仮名」であるため、「ひやす→ひや+す→冷す」が正しいのである。
しかしもちろん例外がある。言葉で書くと難しくなるので簡潔に言うと、「漢字の部分の読み方は変化させない」という規則もある。
例えば他動詞の「とまる」。「とま+る」となるので「止る」が正しいのだけど、自動詞で「とめる」というものもある。「止る」だと「止まる」なのか「止める」なのかが判断できない。よって例外となる。
さて、「ひやす」に戻る。
「冷」の読み方及び送り仮名はあまりにも種類が多い。「つめたい」「ひやす」「ひやかす」「さめる」「さます」などなど…。これらとゴチャゴチャにならないためには「冷やす」と書いた方が都合が良い。
根拠としては、例外的に「ひやす」の他に「ひや」という用法があるからだと思う。「冷や汗」をルールに則ると「冷汗」と表記する事になってしまう。これだとついつい音読みをしてしまいそうになる。
日本酒の「冷や」、お水を意味する「お冷や」などもそう。それぞれ「冷」「お冷」だと読み間違いをしかねない。さすがに「お冷」を「おれい」とは読まないにしろ、「おさめ」は可能性としてゼロでは無くなってくる。
まとめると、「冷し」でも「冷やし」でも間違いではない。どちらも辞書に載っているし、変換候補でも出てくる。
「冷し」だと「さまし」と読まれる可能性もあるにはあるので、「冷やし」と表記した方が誤解が無い。特に外国人の方に説明するときや文法学習者向けには「冷やし」の表記の方が整合性が取れる。
そういえば先月食べたローソンの「麺屋武蔵監修 冷し真剣そば」も「冷し」だったな、と。
さて、本記事では基本的に「冷やし」を使用している。そして使用する事にする。
ただし、商品名で「冷し」を使用している場合、商品表記にはそちらを使用する。
また、商品表記では無くとも文脈上ゲシュタルト崩壊を起こしそうな場合は商品名の方に合わせることとする。
冷し中華のローカル性
広まったのが昭和にも関わらず、割と日本全国での味付け等の違いが顕著である。
我が東海地区*2ではマヨネーズを入れるのがデフォルトである。これは完全に某企業の洗脳によるものだと思っている。
ついついうっかり余所の地域で「あれ、マヨネーズ入れないの?」と言ってしまうと即刻名古屋(及び周囲の領土)出身者だとバレた挙句、「へぇ、冷やし中華はマヨネーズなんだwww味噌じゃないんだwww」と理不尽かつ言い返せないツッコミを受けるハメになるので黙って郷に従うことをおすすめする。
他にも関西では「冷麺」と呼ばれていたりするので、盛岡冷麺や韓国冷麺のつもりでついつい頼んでしまってびっくりしないように。
当の盛岡冷麺のある岩手県では冷風麺と呼んでいたりして、なんとか冷麺との区別を付けようと頑張っている。
また、山形の冷やしラーメンは冷やし中華とは異なる。本当にラーメンを冷やしたようなビジュアルだ。
逆に北海道の冷やしラーメンはイコール冷やし中華である。ややこしい。
冷やし中華 is
冷やし中華やら冷やしラーメンやら出てきて冷やし中華のアイデンティティが揺らぎ始めた頃だと思うので、今一度「冷やし中華とは何なのか」という定義の話へと移る。
まず、もちろんだけど、麺が冷えている。
スープは少なめであり、その分濃いめ。醤油・酢・砂糖を使った、いわゆる三杯酢のような味付けのものが多い。もしくはゴマだれ。
具材もラーメンとは異なり、千切りの胡瓜や錦糸卵、チャーシュー(またはハム、蒸し鶏)、トマト等を使用する。
胡瓜やトマトは夏野菜であり季節感が出せ、かつ水分が多く体を冷やす効果もある事から多用される。
トップにサクランボが乗る事もある。古き良きデパートっぽさが出て趣がある。ただし酢の利いた醤油のスープに合うかどうかと言われると、絶望的に合わない。
コンビニの冷やし中華
セブンイレブンに行ったら冷やし中華があった。
コンビニでも季節の移ろいが感じられるのは良い。
もしも年中通して売っていたら最悪だ。夏でも冬でも咲く桜みたいに、ありがたみも希少性も何も無くなってしまう。
コンビニで小さな夏を感じながら、久々に買ってみることにした。
ラーメン屋では決してエースにはなれない存在。マリオで言うところのルイージみたいなもんだ。
カツにウナギに焼肉に…と、各種あるはずの専門店も冷やし中華となると恐ろしく数が少ない。
日陰でこっそりと出番を待つようなその健気な姿に心を打たれて、気付いたら冷やし中華を手に取り、レジへと向かっていた。
460円。具材の彩りが良いのはフタを開ける前から分かる。
コンビニではさすがにトマトを入れておくのは難しかったのだろうか、それとも好みがあるからだろうか、トマトの代理の赤色の具材として紅ショウガが入っている。
コンビニは地味に地域ごとに商品のラインナップが違う。
製品そのものの取扱いのタイミングも違う事があるけども、原材料や商品名も地域性に合わせてカスタマイズしている。
例えば、冷やし中華が「マヨ付」なのは中京地域と近畿地域のみである。
その他の地域ではマヨネーズが付いていない。言われてみればそもそもこんな味の濃いスープにさらにマヨネーズをぶち込むなんて、ただの味の暴力である。今ちょっと洗脳が解けた気がした。
フタを開けてみると、彩り豊かな具材たち。
これこれ、これこそ冷やし中華の醍醐味。
ちゃんと赤、黄色、緑などなどのそれぞれのカラーがあって見た目が良い。
冷やし中華にはこの見た目の清涼感・夏感も重要だと思っている。
スープを掛けて、麺をほぐす。
その後具材を慎重に乗せる。どうせすぐ崩して食べちゃうんだけど、これはこれで楽しい時間。
マヨネーズを全部入れたらハチャメチャに多かった。各自ご調整ください。
麺はいかにも感のある中華麺ながら、しっかりと弾力がありモチモチ。
茹でたてじゃないのにこの食感をキープできるの、本当にすごい。
錦糸卵はふわふわとしていて良い食感。スープもよく吸うので、好みで味わいを変えながら。
くらげはコリコリとしていて良い。味もしっかりと中華風味。
特にびっくりしたのがスープ。
冷やし中華のスープって醤油とお酢と砂糖の組み合わせなので、率直に言って"のっぺり"としたイメージだった。
でも、ちゃんとスープにガラ感があって、メリハリがしっかりとしている。これはびっくり。
やや酢が多めな印象ではあるけども、ただ単純に米酢の酸っぱさのみならずレモンの果汁も効いている。
スープにより、個人的に冷やし中華の中で革命が起きている。
長年アップデートされていなかった冷やし中華の味が、僕の中で完全に書き替えられた。
「そういえばずっと冷やし中華って食べていないんだよなぁ…」って人はぜひぜひ。もしかすると驚けるかも。
まとめ
ノスタルジックな一品であり地味な存在でありながら、現代まで根強く続いている冷やし中華。
そしてコンビニではひたむきなアップデートも感じ取れた。
拙句ながら、一首詠んでこれを締めとする。
――「冷し中華、はじめました」の文字に巡る 時の流れを再び思う
作:橋本ねこ