ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

移動中のイヤホン利用の是非を考える


街を歩くとイヤホンを付けている人の多いこと多いこと。

僕としては、あんまり理解できない現象なんだよね。

 

イヤホンを付ける

よく見かけるのは耳からちょっとプラスティック素材の白いパーツが下垂したイヤホン、いわゆるAirPodsを付けた人。

 

まずは僕の考えや立場を踏まえながら、思考を伝えていこうと思う。

僕とイヤホン

僕はAirPodsを持っていない。そもそもiPhoneじゃないし、Apple社製品はデザイン面でもUI面でもあまり好きではない。

 

昔は有線と無線じゃあ音質に明確な差があり、無線で飛ばすようなイヤホンやヘッドホンはどうしても音がマスキングされて籠ったような音質だった。
曲がりなりにも音楽業界に身を置いてきた自分にとっては、この無線の音質劣化が許容できず、絶対的に有線派だった。

 

しかし、ここ7~8年くらいだろうか、随分とイヤホンは進化を遂げた。
多様な進化を遂げ、専門店も出てきた。

www.e-earphone.jp

 

僕はもう有線・無線関係無く、そもそも「ヘッドホン>イヤホン」だと思っていたので、数千円で結構音の良いイヤホンが出てきたときは衝撃だった。

 

とはいえ、僕がそういったイヤホン・ヘッドホンの類いを使うのはあくまで仕事上としてであって、例えば「移動中に好きな音楽を聴いたりする」みたいな使い方は基本的にしない。

 

「音質が良い」を成り立たせる

イヤホン・ヘッドホンの音質が上がる事は重要だ。

スピーカーもそうだけど、イヤホンは音の出口にあたる。
音を発信してイヤホンジャックまでは良い音だったのに、イヤホンがその音質を再現できなければ結局高音質だろうがハイレゾだろうが意味が無い。

4Kの映像が流れてきてもテレビモニターの画素数が追いついていなければ意味が無いのと似ているだろうか。つまり最終的な出口のクオリティは重要である。

 

というか、まぁクオリティは全箇所に渡って重要である。

そもそものデータの音質も大事。それを処理するパソコンなりスマホなりの性能も大事。そしてそれをアウトプットするイヤホンやスピーカーの品質も大事。
最終的な音質は、これらのツールの中で最もロークオリティな所に合わせられてしまう。

 

とは言っても、最近の機器やデバイス、ツールなんてどれを使ってもだいたい"良い音"である。
プロがスタジオで爆音で音質チェックをしたり、製品用のクオリティを作ったりするのならば、モノによって物足りなさがあるのは否めない。が、デイリーユースで困ったり不満を持つことはほぼほぼ無いだろう。

それくらい最近の技術は進歩してきた。そりゃあ確かに音楽を聴くのも楽しいのかも。

 

イヤホンを付けていた時代

僕もイヤホンを付けて電車に乗っていた時代があった。
いつだろうか…ざっと15年くらい前の話になるだろうか。

曲を聴くのは楽しかったが、やはりちょっと音が自由じゃない感じがする。無理やり作っているというか。まぁ当時の技術なので仕方ない部分はあるだろうが。

"音が自由"とは

「音が自由、ってどういう事?」という話だが、スピーカーだと空気を介する。
スピーカーから耳まで距離があり、放たれた音は空気を震わせながら色々な角度から耳に届く。

逆にイヤホンやヘッドホンは耳までほぼゼロ距離となるため、空気振動が無い。ダイレクトに耳に届く。

 

ダイレクトに耳に届く方が100%の音ではある。

"音漏れ"をイメージしてもらえば分かりやすいが、音が漏れて聴こえるということは則ち壁や天井・床が音を吸い込んでしまっているということ。つまりスピーカーの場合は耳に届くまでに数%が失われていると言える。

しかし、僕としてはその数%逃げた音の方が自然なのである。これは人によって違うと思う。
最近のティーンや20代前半なんてイヤホンの音質・聴こえ方が当たり前になっていると思うから、逆にスピーカーから出てくる音がちょっと散らばって聴こえてしまうのかも。

 

余談だが、近年の曲作りの最終調整*1の現場では、AirPodsでのチェックも行う。
もちろん最高の設備で最高の音質で作り上げるのも重要だが、じゃあ聴く人全員がその最高のリスニング環境で再生するのかというと違う。「一般的に多くの人は何でどうやって聴くのか」を重視しないと、意図せぬ音質となってしまうという落とし穴がある。
最高に合わせることが最良とは限らないのである。

AirPodsでマスタリングするって人もいるくらいだ。まぁそれでも良いのかもしれない。

 

イヤホンを付けなくなった理由

ここからが、僕がイヤホンを付けない理由にも繋がるポイントとなる。

 

そもそもの起点はイヤホンの音質があまり好きじゃないというところだった。
しかし、この点は解消されている。現在のイヤホンは音質が良い。

さらに言うならば、前述の通り、僕もイヤホンを付けていた時代があった。
にもかかわらず、なぜイヤホンをしなくなったのだろうか。

1:危ない

これは身を以て体感した部分だが、シンプルに危ない。
イヤホンを付けると周囲の音情報が遮断されてしまうのは明らかだが、視野が狭くなり、注意も削がれてしまう体感がある。

イヤホンで音楽を聴くのは、割とフォーカスした行為となる。つまり集中するというか注意がそちらに持っていかれる。
そのため、周囲に気を配りづらくなるし、視野も狭まる。背後の状況も分からないし、音量次第だがサイレンや緊急音にも気づきづらくなると言える。

 

特に好きな曲を流していると顕著で、まるでマルチタスクをやっているような感覚になる。
僕はこれを危ないと感じたし、気が休まらないと思った。

2:耳に悪い

まぁこれは昔の音質の話だから今は多少改善されているが、耳に悪い。

 

特に自分の世界に入り込みたい人は音量も上がりがち。
最近はあまり見かけないが、イヤホンの音漏れがすごい人もいた。シュワシュワ、シャカシャカと耳に障る周波数の音が漏れてくるため、嫌いだ。

イヤホンを付けていなくてもこれだけ耳障りだと、イヤホンを付けている耳の中はどうなっているのだろうか。耳の機能も相当悪化していそうだ。

3:移動中に聴きたい曲が無い

僕はSpotifyのサブスクを登録しており、いつでも音楽が聴ける。
だから移動中に聴かないと勿体ないといえば勿体ない。
(と書いてて思いついたのだが、折角毎月払っているのだから聴かないと勿体ないという思考の人も居そうだなと思った。)

 

性格上の話だが、僕はヘビーローテーションするほど聴きたい曲が存在しない。好きな曲はたくさんあるが、そんなリピートして聴きたいとは思えない。どんなに好きな曲でも一日1回でも聴ければ十分だ。

だし、好きな曲であれば移動しながらではなく家でゆったりとリスニング環境を整えて再生したい。

 

家ではBGMのように集中できるインストゥルメンタル曲を流したりジャズを聴く事が多いが、それは別に移動中に聴きたいとも思えない。
あくまで作業やコーヒータイムのお供として、文字通りのBGMが欲しいだけだ。

 

というわけで移動中に聴きたい曲が無いのである。

4:環境音が聴きたい

僕は環境音が好きである。
キビキビと動く工事現場の音。不意に頭上から聴こえるカラスやよく分からん鳥の鳴き声。互いに何者か一切知る事が無いままであろう他人たちが展開する他愛もない会話。
車の音、飛行機の音、電車の音。

環境音は毎日違う。空みたいだ。空も毎日雲の配置が違う。全く同じ日なんて存在しない。

 

飽きがこない、最良のBGMだと思う。
なんとサブスク料金も不要。回数制限も無いし広告も無い。いや――広告はたまに聴こえるが――とかく聴き放題のBGMである。

 

人それぞれ

まぁイヤホンを付ける事情は人それぞれだと思う。
僕は「危険に晒されるリスクを取ってまで聴きたい音楽が無かった」「環境音を聴くのを楽しめる」という点から、イヤホンを付けない。

だからそこまでして音楽にのめり込めるのって、ある意味羨ましい。全然嫌味とかじゃなくて。

 

まぁでもイヤホン付けてる人は、やっぱり危なっかしい人が多い。特に自転車に乗っててイヤホン付けて走り抜ける人とか。
でも実際に危ない目に遭ったりしないとデメリットやリスクって理解出来ないのかも。

元来、人間は予防の観点を持てないものだと思っている。往々にして、体を壊したりしてから「あの時、もっとこうしていれば良かった」等と嘆くのである。

お酒もそう。タバコもそう。健康管理もそう。保険もそう。そしてイヤホンもそう。

いやぁ、そう考えるとやっぱり移動中にイヤホンを付けているのってあんまりオススメ出来ないなぁと思ってしまう。
音楽を楽しむ人口が増えるのは喜ばしいんだけどね。

 

個人で楽しむ分にはご自由に。そこを制限する必要も無いし、制限できる権利も無い。

ただし、使用するにあたって周囲の人に迷惑をかけるのであれば、それは考え改めなければならないのかもしれないとも思う。

*1:マスタリング