一つの事に打ち込む。素敵だと思います。
その道をひたすらに突き進み、極めるために日々精進する…とても素晴らしく、素敵で尊い。
誰もが出来る事でも無いし、やはり「一つのモノを極める」事を目標としている方も少なくないのでは、と思ったりもする。その生き様に憧れる人もいると思う。
でも、もしも例えばケガだったり何かしらの偶然でその道が断たれてしまったとしたら、という可能性について考えてみたい。
例えば幼少期より野球を続け、勉強そっちのけで出席日数もギリギリでありつつ、しかし大会では好成績を収め、ついにプロ選手になったとする。
ここで「もしも万が一選手生命を断たれるような事故に遭ってしまったとしたら」を考える。
勉強は二の次どころか全くやっていなかったので野球以外はからっきし。スポンサーも居たのでバイトや労働の経験もほぼ無いに等しい。ただしスポンサーはビジネスパートナーであるからにして、野球というビジネスを提供できなくなったとしたらその関係は破綻してしまう。
さらに言えばプロ野球選手ってテレビでキラキラ輝いている方々だけじゃないし、ずっと1軍に行けずに生涯を終える方だってもちろんいる。
もちろんチームの人数は決まっているし、試合に出れる選手や1軍に行ける選手の数はある程度固定されている。誰かが入れば誰かが抜けなければいけない。
そして、スポーツ全般に於いて、加齢とともにどうしても筋力が衰えてしまう。
早いと40歳になる前に引退する方いる。つまりプロになって活躍して稼げるとしても20年くらいだけなのだ。
もちろん夢のある仕事なので、それでもプロになりたがる人はとても多いと思う。だし、それは止める事が出来ないし、むしろ勧めたい。
それと同時に現役を退いた後の事も考えたい。加齢によるものか事故やケガによるものか、理由は様々あれどいつかは第一線を退くわけで。
その時にどう生きていくかを考えると、一つだけを特化させすぎるのも考えものだと思うのね。
甲子園で活躍してプロ入りしたものの、一軍には上がれずに40歳くらいで引退した人って結構多い。
だいたい引退後はコーチをしたりするんだけど、でも有名な所のコーチは有名な所の出身の方がやってたりするので、たまに知る人が聞いたらびっくりするような選手が少年野球を教えていたりする。
他にも飲食店を出したり事業をする方も多いんだけど…往々にしてそういう数字の絡む仕事が苦手だったりする方も多いし、詐欺に遭う方も散見される。
こういう時、勉強の大切さだったり経済学の生活との結びつきを痛感するわけだけど、もっと学校でそういう部分を教えれば良いのにって常に思う。
とはいえそういう経済や市や町の制度は頭が良い方が作っているので、頭の良い人が得をするように出来ている。当たり前といえば当たり前なんだけど。
細かい文字や難解な言葉遣い。そういう鍛錬は長文読解に苦手意識があるとそもそもアレルギーが出る。用語も学校で軽く浅瀬に浸かっておくと抵抗は減るが、いきなりディープな専門用語が出てくると意味の推測すらできない。
ただし、こういった専門用語は必要で。もしも専門用語をしっかりと誰もが分かる言葉で一つ一つに注釈を入れていったとしたら、そのただでさえ長ったらしい書類は数倍の量になってしまう。
というわけで、一つの道を突き進むのも良いが、その道が断たれた後の事からも目を背けずに考える必要がある。長く生きていくのならね。
一つを極める事ももちろん否定はしないが、数ある保険のうち火災保険にのみ入っているようなものだと思ってほしい。
あとはその道を選んだ動機、理由も大事。
「その道しかなかったから選んだ」のか「他にもたくさん道はあったが、この道を選んだ」のか。
前者は自分の選択ではない。「選ばざるを得なかった」「選ばされた」が正しい。
後者は明確な自分の意志。自分で決めた選択である。
この二者にはかなりの差がある。
自分で舵を握っているか、舵取りが出来ているかどうかが異なる。
前者は自分の舵が何者かにコントロールされているか、何者かに他の道を隠されてしまっている。もっと自分で選択できる余地はあると思うし、あったとしてもそれが見えないように隠されてしまっている。
もしくは目を背けている。自分を根拠のない自信で固めていて、すぐそばの崖を見ないようにしている。
誰もにいろんな適正があるはずなので、今見えている道以外にも進める道があるのかもしれない。
それを探るのにも時間、勇気、技量…色々と必要な物はあるが、そのまま進んで行った先の展望と比べてみて進退は決めたいところ。
武器はたくさん持っているべきである。
ゲームで言えば、双剣が利くボスもいるし斧じゃないと倒せない敵もいる。ならばどちらの武器も持っておけばいい。
持ち物がいっぱいになってしまったり重くて持てなかったりするのならば、まずはその容量を増やしてみると良い。そして体力も強化しておく。体力は何にでも応用が利くから。
そうやっていろんな要素を持ち寄って、いろんな可能性を探ってみる。
するとある方向に光が差すかもしれない。
それはもしかするとその道を既に突き進んでいる人と比べれば遅れは取っているかもしれない。でも、こちらはその武器だけじゃなく他の武器も所持している。
将来的に、違う方向だと思っていた道同士が結びつく日が来るかもしれない。
色々と意図的に結び付けても面白いかもしれない。
これは複数の武器や視野を持っていないと試せない事。そして気付けない視点。
僕は色々な事に手を出すのは遠回りだとは感じない。
色々な事をしながら、見極めていく…それが案外一番の近道なのかもしれない。