ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

「あいつ、今度はベースを弾くとか言い出したぞ」

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新型コロナウイルスに翻弄されている皆様、どうもこんばんは。橋本ねこです。

 

今月末にはPiZAというバンドでライブを行う予定があります。それまでに何とかコロナウイルスさんには絶滅してほしい。種ごと滅びていただく事は可能でしょうか。

 

新型コロナウイルスを通して、命の儚さのようなものも感じていまして。

どこぞの大富豪や資産家が莫大なお金を積んでも、この新型コロナウイルスにより症状が重篤化したら治らないのです。ここに来て通貨が役に立たないなんて。

そして、どのみち遅かれ早かれ命は尽きるし、死んだ後にお金を持っていく事は出来ない。

人間は100年もしないうちに大半が死ぬし、ワニはあと3日で死ぬ。

 

なんかまた企んでいるらしい

さて、本題へ戻る。

PiZAについてはもう存じていただけているでしょうか。

まだの人はこちら。

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そして、出演するイベントについてはこちら。

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…と言った感じ。

前々から公言している通り、僕は面白い事がしたい。

それは笑いのツボ的なのじゃなくて、 ハイセンスだったり独自の感性だったりを重視したもの。

最低条件として「自分の中でわくわく出来るもの」をしたい。

そしてあわよくば、そのわくわく感をシェアしたい。 

 

 

僕のライブの考え方

僕は、特にライブに於いてはエンタメ性を重視する。

アーティストリーに溢れるのは作品だけでいい。

 

エンタメ性。一口に言っても色々ある。感じ方も考え方も。

その中でも僕としては独自性を重視している。

つまりオリジナリティだ。

 

 

僕は「僕以外の人も既にやっている事」にはあまり興味が無い。

ピアノはみんな座って弾いてたから立ってみたし、キーボードを掲げてみたりもした。

鍵盤を倒したり落としたりもした。それがパフォーマンスの一環として、僕の武器になるならば安いもの。それは機材の愛着とはまた別の話。

 

そしてキーボードをワイヤレスにして抱えてみたりもした。

この辺は上手くいけば僕の強力な個性になるはずだった。頓挫したけど。

ただ、それは改めて見つめ直すには良い機会だったと思ってる。ブラッシュアップするには一度離れてみるのも有効だしね。

 

 

ご存知の通り、そしてご覧の通り、どんどんエスカレートしている。

こうなってくると普通には戻れない。意図的に、というよりもじゃあその僕の考える"普通"を僕がやる意味とは何なのかを考えてしまう。

だって僕がやらなくても良いじゃない。その普通とやらはさ。

僕は僕にしか出来ない事がやりたい。 

 

キーボードのカルマ

ここまで頑なに独自性を突き詰めているのは、僕がキーボードというパートを受け持っているからでもある。

キーボードといえば、ピアノの音はもちろんの事、何でも色んな音が手軽に出せるイメージを持っている人が多い。そしてそのイメージは合っている。その通り。

 

最近のバンドではシーケンス*1がすっかり浸透している。PCの普及、ハイスペックの低価格化により、手軽なものになった。

 

ギターやベースと違って、シーケンスとキーボードは住み分けがしづらい。

ギターを弾いてもギター以外の音がする事は(ほぼ)無いが、キーボードを弾いてキーボード以外の音がするシーンは多い。よって、今流れている音のうち、何の音がシーケンスで何の音がキーボードから出ているのかは非常に分かりづらい。あと鍵盤弾いてるところって見えづらいし。

 

僕はシーケンスは支持派だ。ただしキーボードの競合であると思っている。

中途半端で華の無いキーボーディストがバンドに居るくらいなら、シーケンスの方がずっと良い。

シーケンスに勝る点の無いキーボードは必要無いと考えている。

 

以前のバンド、メトロホログラフィー。の初期~中期では同期を一切使わない生演奏のバンドだった。僕はシーケンスとの勝負を避けたのだ。

後期はメンバーが減ったこともあり、話し合いの末にシーケンスを入れる事にした。ここで様々なパフォーマンスを模索する事となる。

 

キーボード vs シーケンス

さて、キーボーディストが手軽に出来て、かつシーケンスに出来ないものは何か。

その答えとして一番最初に挙がるのがパフォーマンスなのである。

 

シーケンスにはメンバーやファンとアイコンタクトを交わす事が出来ないし、カミテからシモテまで走り回ったり客席に降りたりする事は出来ない。

ここなのである。重要なところ。

 

逆にシーケンスは正確なリズム感と安定性がある。シーケンスと演奏者の線引きをキチンとしないと、特にキーボーディストは存在意義を問われてしまう。

キーボーディストは超絶技巧か、よほどルックスが優れているか、バンドへの貢献度が高いか――あたりが無いとかなり厳しい。

 

これらを踏まえて存続を考えていくのである。これがキーボードというパートを選択したがゆえの呪縛である。この問題から目を背け続ける事は出来ない。

 

そして新たな場所へ――

僕は模索をし、新規開拓をし続けた。

 

その一環として、ちょっと前には一夜限りのアコースティック編成のバンドでライブを行っている。

ここでは、ピアノを弾きながら右足でバスドラムを鳴らしていた。

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キーボード×ドラム。

キーボーディストとしての本分からは少し外れているのだけど、こういう独自性が欲しいのである。

僕というプレイヤーがいる意味があり、かつ独自性がある。それがキーポイントとなる。

 

導き出した答え

きっと3/28のライブでは僕の出した一つの答えを見る事が出来る。

僕の選んだパートはベースである。キーボードのパートはシーケンスに委ねる事にした。

これが退避なのか挑戦なのか分かんないけども。

 

そういえばどっかのイベントでベーシストとして出演したことがあったな…まさか布石だったとは…。

*1:生演奏にシンクロした音たち。"同期"とも言う。