最近、引越しをした。
「引いた線を越える」と書いて引越し。
つまり、「今まで」と「これから」の境界に引かれた線を越えて先に進んでいくという行為こそ、引越しというわけ。
ちなみにこの由来は今適当に作っただけなので信じないでほしい。
引越しの由来
引越しとは、「荷車などに荷物を乗せて野を越え山を越え歩いて行った」ことに由来すると云われる。へぇ。
確かにさっき自分で出した即興のデタラメ由来より全然それっぽい。
「引」の字も「引退」や「身を引く」等のスッと退いていくような意味合いを併せ持つため、そちらの由来もあるらしい。
すごい日本らしい語源で侘び寂びすら感じる。もう自分が冒頭に出した適当な説が恥ずかしくなってきた。もうやめてくれ。
最近、引越しをした話
話を本題へと移していく。
県を跨ぐ移動をし、ますます名古屋から離れ。
もうすっかり「知っている人とすれ違う」なんて率は限りなく0%に近くなった。
軽々と名古屋へ赴くことも随分と減り、最近は行っても月に1回くらいだろうか。
とはいえ、最近はすっかりネット内に居を構えているので、別にリアル住所がどこであろうとさほど大きな問題でもないとは思う。何か一つ、リアルで活動中のものを忘れているような気がするが。
それやこれやで忙しくしており、ブログは後回しになっていたというわけ。
なお、引越しに伴うデカいトピックスとしては、
- 両親の永代供養をする
- マンションを売却する
があった。まぁこれらは追々触れると思う。
旧居での手続きや新居での手続きや契約なんかは僕が担当し、荷造りや荷解きはだいたい妻がやってくれた。感謝。
持ち家のマンションから、賃貸のアパートへ
やっと新たな土地や生活にも慣れてきた頃で。
2LDKのアパート暮らしだが、イメージしていたアパートと違う。
アパートってもっと蔦が生い茂っていたり共用階段がボロボロだったりゴミ袋が廊下に置いてあるような不衛生で古びたイメージだった。貧乏な漫画家が集うナントカ荘、みたいな。
しかし実際はそんなことも無く。
むしろこれなら持ち家じゃなくても賃貸で過ごしていくのも良いな、と。設備も新しく、非常に快適。
将来的に家・土地の価値が上がっていくと仮定するならば持ち家アリ派なんだけど、家の好みも変わりゆくし、家はボロくなっていくし、土地の価格も上がっていくとも限らない。
土地の価格はそこまで大きく下がらないとしても、家は住んで使えばどんどん価値は落ちる。
メンテナンスも大規模修繕も要るし。マンションにしろ、戸建てにしろ、価値は落ちていくもの。子の代・孫の代に受け継げるとして、それが荷物になるならビミョーである。
逆に自分自身に持ち家への憧れが無い。
持ち家への憧れは一度既に満たされているため、別にもう良いのだ。
「家買ってみたい!」「自分好みに全部指示して建てたい!」という願望も無くはないが、前段の「修繕の手間やコスト」や「価値の下落」等のリスクが勝る。
あとは「なんかちょっと微妙だな」と感じてしまったときに、身動きが取れない。
例えば近隣にヤバい住人がいることを後から知ったり、そもそもの地域性が自分と合わなかったり。いや地域性に関してはもうちょっとリサーチしようぜって感じだけど。
ちょっと違う話だけど、芸能人の方が海沿いのリゾート地に豪華な別荘を建てたものの潮風が強すぎて塩害で住みづらくて結局ほぼ使っていない、みたいなのがあったなと思うなどした。
こういうとき、賃貸だとある程度フットワークは軽い。しかし持ち家だとフットワークが一気に重くなってしまう。
賃貸はそういうのが無いもんね。
ただし、賃貸は自分の持ち物にはならない。
でもこれってすごい今風じゃない?まるでサブスクみたい。
必要な期間だけ借りて、不要になったらまた新しい賃貸へ。
こうすれば常に良い設備の賃貸へ移動出来るし、あとは環境適応力の問題となる。
でも、もし将来的に子供が出来て、学校に通うようになったとすると、この辺の身動きは重くなる。
あんまり環境を変えると、自分は良くても子供にストレスがかかる。
こうなると改めて、「いっそ腰を据えてその土地に根付く」か「それでも移動し続ける」かを天秤にかけることになる。
まぁそれはその時考えるのだ。