「これ俺ばっかりしてるじゃん!」
「ひどい!わたしだってこれとこれしてるのに!」
的な。何もカップルに限らない。2人以上が定期的に集う集団内に於いてはよくある話だと思う。
「思いやり」が「してあげた」に変わる瞬間、悲劇が起こるわけで。
もちろん解決法としては、そもそもそうならないようにすれば良い。
が、往々にして予期せぬタイミングでこの時を迎える事だろうと察する。
発生するすれ違い
なぜすれ違いが発生するのかといえば、した事による価値の感じ方が違うから。
ある人にとって作業Aは10000円分の作業であるが、作業Bは500円くらいの作業である。
またある人にとっては作業Aは500円くらいの作業であり、作業Bは10000円分くらいの重労働である。
すると「大変な作業Aをしてやったぜ!」「作業Aしかしてないの…楽なやつじゃん…」みたいなすれ違いが生まれる。
この例えからも分かるように、見えない作業量は通貨のように絶対的な単位では無い。人によって強度の感じ方が違う。
逆手にとって活かす方法
つまり、思いやりのシステムとしては「物々交換」に近い。
ならば、それぞれ互いに価値を感じそうな事をし合えば良い。
山の地方には海が無いので魚が貴重である。それを海側の人が理解して魚をたくさん持っていく、とか。
これがループし続ければ互いにハッピーな関係性になることが出来る。
「思いやり」 is
尤も、それは理論上の話であって、現実にはそんな簡単にスルっと解決する事は稀。
そもそもの話をすると、「思いやり」で何か物事を始めているならば見返りを求めてはいけない。
ボランティアの団体が急に料金を請求し始めるのと似たような感じがする。
その場合の見返りに当たるものは、相手の喜んだ顔だったり"やりがい"だったりする。
最初から相手にも対等を求めるならば、「思いやり」を道具や盾に使うべきではない。
それは思いやりではない上に分担も出来ていないので、エゴイズムである。
相手の喜んだ顔や"やりがい"で満たされないのならば、潜在的に対価を求めている事に他ならない。
公平な分担
フェアでクリーンな分担をするには、まず全体の作業量を可視化するところから始める。箇条書きでも良いので全部リストアップする。
全体量が見えている状態で分担すれば、自分の作業量を全体からの比率で判断できるので互いに損をしない。
様々な事に言えるが、全体像を当事者全員が同じビジョンで確認できる状態を作るのは重要。もう僕の中では必須と言っても良い。目的地までの地図を用意するようなものだ。
もしくは、自分が先立って何かを行う場合、相手は何をするのかを尋ねるといい。
こちらはより"取引的"で、互いの用意できるもの――作業、対価などを先に提示し合うもの。
やや堅い話にはなってしまいがちだが、互いにストレスなく完遂するには良い。
気持ちと価値
日本人の良いところでもあり、悪いところでもあると思うのだけど、料金や対価の話を「よくないもの」とするフシがある。
別に「お代は良いですので…」的な所までは良いとして、後日「あの時アレをしてあげたのに…」みたいな事を宣うようなケースは多くみられる。後から不満が爆発していたりとかね。
だったら最初からギャランティを設定するか、互いに対等になるように条件を付けたりとかすれば良かったのに、と僕は思う。
その手間や堅苦しさを省いてしまうのならば、その思いやりの相手の受け止め方にいちゃもんを付けてはいけない。
その思いやりが単なるエゴイズムではないか。相手にとって価値のあるものだったか。そして、ありがた迷惑ではなかったか…などなど、考えるべき点はたくさんある。
思いやり自体は決して悪いものではない。
が、その思いやりを道具として使ってしまうとトラブルの元になってしまいがち。
なぜなら思いやりの価値は人によって感じ方が違うから。