掛け算に於いて、たとえどんな数であろうと0を掛けると答えは0になる。
だって、どんな大きなものでもそれがそもそも存在しないのならば無いに等しいし、存在しないものを何個持ってこようがそれもまた無いに等しいのだから。
とてつもなく走るのが速い人が居るとする。仮にオリンピックのワールドレコードよりも速く走れるとしても、その肝心のオリンピックに出場していなければ記録とはならないのである。
つまり、記録上はゼロ。オリンピックで走っていない我々と同じラインに立っていることになる。
何かにゼロを掛けるとゼロになってしまう。
逆に、全く走れない人が居るとする。理由はここでは問題としないので置いておくとして。
その方が何百回チャレンジしようが結果はゼロなのである。
ゼロに何かを掛けてもゼロのままだ。
スタートと同時に走り出したとしても、ゴールの方向へ向かっていなければゼロ。
ゴールの場所が分かっていても、一歩たりとも動いていなければゼロ。
ややもすると、努力を否定するような論調に捉えられるかもしれないけども、実はそういうことが言いたいわけじゃない。
0でもやってみれば良いとすら思う。
ただし、0は何かと掛け算をしても0のままなので、ちょっと工夫をしなければならない。
まずは、それが0なのかどうかの見極めをしなければならない。
例えば可能性。それは果たして0%なのか。もしかしたら0.001%くらいはあるかもしれない。
0と0.001の間には大きな違いがある。「数が存在するか否か」が違うから、意味合いは全然違う。
宝くじだって、買わなければ当たる確率は総じて0%だが、1枚でも買えば可能性は発生する。
さて。
何か物事を始めるときには、この0を避けた方が良い。だって、解は0になっちゃうんだもん。
0じゃなくするような策を講じなければならない。
もしくは答えが0になりそうなものは潔く捨てる。
「0にどれだけ時間をかけても0のままだな」と気付いたら、その時間は他に充てた方が良い。
時間や資源は限りがある。効率よく、そして有意義に消費していきたいところ。
もう一度言うけども、努力は否定しない。「結果」という物差しで見た場合、どうしても切り捨ててゼロになる事はある。けども、経験値やその集中力だったり何かに打ち込んだ記憶は無駄じゃない。
最終的に失敗したとしても、その失敗は貴重な経験だ。
例え不毛の砂漠であろうと、0.001%でも可能性を感じるならば種を蒔いてみるのも面白いと思うよ。僕はね。
その種を蒔かなければゼロ。種が無いのと同じ。
さて、どうする?