いつもと違う日々が続いている。
なんか最近のブログの枕は全部こういう言葉になっちゃう。
非常事態、緊急事態。
ソーシャルディスタンス、三密。
色々な言葉が聞かれ、生まれ、確実に将来歴史の教科書に載るであろう事象に直面している。
ニュースを見ればコロナウイルスの話。重いニュースが次から次へと流れる。
倒産。生活苦による自殺。犯罪。
身勝手な行動をする人。そしてそれを自らの正義の物差しで咎める人。
互いに貶め合い、さらにそれに対して対岸から石を投げる人。
堂々巡りのニュースの中、ちょっとしたことにもナーバスになってしまう人も多いと思う。
なんせ先の見えない世の中である。出口が見えないトンネルを歩いているみたいで、そんな所を歩いていればそりゃあ「このトンネルを作ったのは誰だ」「もっと明かりがあれば良いんだけどねぇ」「そもそもこのトンネルを歩けと行った責任者は謝罪しろ」みたいな話がどんどん出てくる。
出口が見えていれば――行く先に光が見えていれば良いのだけど、なかなかそうもいかない。難しいね。
色々な人が色々な試みをし、いつもと違う慣れない環境に必死に適応しようと知恵を絞り、時には何かを我慢し、進んでいる。
止まない雨は、きっと無いのだろう。
ただ、今まさに豪雨により浸水していて場所によっては水没しているような街に向かって「雨はきっと止むから!」って言っても響きにくいのである。
何故なら、その状態の人たちにとって直面している問題は「雨が止むか止まないか」ではないからである。それよりも今「水没しているこの状態をなんとかしたい」のである。
ここに齟齬が生まれる。「力を合わせて頑張ろう」みたいな言葉で勇気を貰える人も居る。が、もうその段階ではなく、早く給付金が欲しい人も居るだろう。ただただ穏やかな生活を望む最前線で戦い続ける人だって居る。
広く平たく言うなら「頑張ろう」という言葉に終始しがちだが、それだと響かない人もいるし、何なら反感を買いかねない。
というわけで、必要なのは具体的な案だったり、明確な数値目標やリーダーシップである。
ことリーダーシップに於いては、この短期間で大いに試されている。
今まで顔も名前も知らなかったような他県の知事がテレビに映り対策を話すのを毎日のように見る。きっと皆も「この県の知事、意外と若いな…」とか「この人、言ってる事がコロコロ変わるな」とかのように何かしらを感じたり思ったことがあるだろう。
そして、自分の属する県や市の長の舵取りや案にも注目したい。
これが自分たちが投票で選んだトップなんだから。
毎日毎日、矢面に立って会見を開いたり意見を述べたりするトップの方々には頭が上がらない。壇上で言葉を発するのは相当なプレッシャーであり、ちょっとした一言が穿った捉えられ方をしてしまうことだってある。それが面白おかしく取り上げられ、信用を失墜させる事なんて、過去に何度も色々な事例を見てきた。
総理なんて自分の付けているマスクにすら突っ込まれるんだぜ?相当の精神力じゃなかったら耐えられない。人が人なら発狂して暴れ散らかしたり、号泣してしまってもおかしくない。
とはいえ、全員の納得する意見を出す事は難しい。
元々全員が平等じゃないんだから、平等な政策は無理だ。全員を平等にする施策は不平等だし、平等な施策をした結果は不平等だ。
デコボコした道をコンクリートで整えるとして、全体に同量のコンクリートを流し込んだらそのままデコボコになる。逆に平らに整えるならば、へこんでいる部分にはコンクリートが多くなる。コンクリートの量は一定ではない。
今、まさにリーダーシップが試されている。
緊急事態宣言は引き続き5月末まで効力を持つが、今日から営業を再開するお店も多く見られる。
どこも輝いていて、新たな船出をたくさん見ているような気分になる。幾分かの不安を抱えつつも、その出帆は当事者には喜ばしいものとなるはずだ。
悶々と終わりの見えない戦いを続ける人たちにも「再開」は希望となる。
再開、再スタート、再始動。
下っていた気持ちをグイっと上向きにする。
こうしてだんだんと元の生活に戻っていくだろう。
僕は専門家でも何でも無いけども、この新型コロナウイルスは基本的に根絶されることはなく、次の冬には"ちょっと辛いインフルエンザ"くらいのポジションになると思う。
そこからゆっくりとインフルエンザと同等のモノとなり、冬のシーズンには予防接種や対抗薬の摂取などの対策を図る。
かといって、緊急事態宣言を今解除してしまえば感染者は一気に増えてしまうだろう。
解除するならば、ある程度の免疫を保持する人が増えた後の話になると思う。それまでは少しずつ緩和していき、だんだん県外への移動規制も緩くなり…という具合に進む。
ただし、海外へ行けるようになるのはまだまだ先になりそう。もし移動した先で陽性が判明したら国際問題だ。敏感な国なら、その陽性者と同じ国の出身である在国者が迫害を受ける可能性だってある。
元の暮らし。
日常をどれだけ望んでいるか。
何も特別な物じゃない、高望みもしない。"日常"だ。
いつもの暮らしに戻ったとき、反動のようにきっと笑顔が増えるはず。
穏やかで、派手では無いけども落ち着いていて平和な日常。そしてその中で過ごす人たち。
その様子を見るのが、僕は楽しみ。
また笑顔で会いましょう。必ずね。