一段、階段を上った。
いつどうなってもおかしくない、このご時勢――というのをこの数年で痛感した人も多いと思う。
一寸先は闇かもしれない。光がさしているかもしれない。落とし穴になっているかもしれない。トラックが突っ込んできて転生するかもしれない。
そう、ほんの数秒先ですら、どうなっているかは分からない。
そして僕もまた、そういった事を痛感した1人だ。
界隈を離れ、都会の喧騒も離れ、連絡を断ち、道を閉ざし、邸宅に閉じこもり、2年が経過した。
"新たな生活"にも慣れ、もうすっかり前の生活に戻れる気もしない。
時代は流れれば、人も移りゆく。
人そのものも流れていくし、思考や交流も変わっていく。
その狭間に、僕は立っている。いつか、誰からも忘れ去られてしまう将来に、一歩ずつ向かっている。
時間は関係をすり減らし、有形物はあらゆる摩擦により削れていってしまう。
風化し、研磨され、ある人は丸くなった。ある人は気迫が無くなり、ある人は…そうだな、そういえば今は何をしているのだろう…。
時間はあらゆるものを平等に撫で付け、等しく削り取っていく。
「永遠は無い」と諭すように風を当て、残響は雨で洗い流す。
しかし、それはつまり時間は"磨いてくれるもの"でもあると言える。
そう、悪い面ばかりでも無いのだ。
1つの歳を重ねるのは時間のおかげ。
今、僕はその時間の経過を愉しんでいる。