ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

自分の中の"軸"を考える

f:id:hashimoto_neko:20180817161439j:plain

自分の中の軸。きっと大体の人が無意識であっても持ってると思うんだけど、考えた事、ありますか?

自分の考え方や行動の中心にあるもの。基盤となっているもの。原動力になったりもするし、動機にも理由にもなる。

 

「自分の中心の軸」は例えば仕事だったり、友人だったり、モノだったり。自分自身だったりもするしライバルだったり宗教だったりもする。

つまりそれは価値観でもあり、その価値観を通して世界を見ていることになる。要はメガネみたいなもの。

 

そして、もちろんそのメガネのピントや掛け心地は自分にフィットしたものである必要がある。

メガネが違えば考えも変わる。色んな人が居て色んな考え方があるのは価値観や軸が違うから。「何が一番大事か」も違うし、「望む結果」も違う。もちろん、そこへ至るまでの手段や道具だって違う。

 

 

中心になる主な軸

どの軸もそれぞれの利点・メリットがありつつも、もちろん欠点もある。

いくつか例を挙げてみようと思う。

 

仕事中心

仕事が軸になっている人は潜在的な人も含めると結構な数が居そうな気配。

仕事が軸になっている人をもうちょっと細かく見れば「地位中心」だったり「お金中心」だったりもする。もちろん入手すれば満たされるんだけど、きっともっともっと際限なく欲しくなる。完全に満たされることは無いのかもしれない。

 

友達中心

友人がたくさんいるに越したことは無いし、友達の輪の中に居るときは良い気分になる。

でも逆に友達の輪から外れた時に気分が沈むようだったら、もしかすると友達が軸になりつつあるのかもしれない。

友達とはいえ、自分自身ではないので自分のペースとは関係ないタイミングでコロコロと考えが変わったりする。それに振り回されると結局自分を失っていってしまう。いわゆる「友達に合わせる」状態がずっと続いてしまう。

友達は多いに越したことはないけども、中心にするにはちょっとジェットコースターかな、と。

 

モノ中心

お金だったり高級品だったり、そういうアイテムにステータスを見出すタイプ。肩書きだったりもそうなんだけど、それって結局自分自身では無くて。

要は装備品に価値を付けているわけで、自分自身の価値には変化が無い。

 

恋人中心

恋人を中心にするって事はまぁつまり依存するって事なんだけど、常に相手の事を考える故に相手のちょっとした行動で一喜一憂するのって疲れちゃわないですかね…。

例えば一日連絡が来なかったりして、そういうちょっとしたことから喧嘩にもなったりして。そうなってくると相手としては「めんどくさい」ってなるか「ちょっとしたことで怒るからめっちゃ気を使わないと…」ってなっちゃって、どちらも精神衛生上よろしくない。

自分に自信が無いってのも一理あるけども、かといって解決策として「自分に自信を付ければ良いじゃん」ってのも暴論だと思うのね。僕的な解決策としては、別のところに中心軸を持っていくのが良いと考える。

 

自分中心

暴君かよ。

 

芸能人中心

これも意外とありがち。ライフスタイルから考え方まで全部どっぷりと憧れの人に浸ってしまう。

でももしもその憧れの人がしょーもない事件を起こしたりしたら…。友人や恋人もそうだけど、自分以外の人を自分の人生の軸にはしない方が良いかなぁと思う。尊敬したりするのは良いと思うけどね。

 

音楽・スポーツ中心

これらを人生の中心に置いている人、かなり居ると思う。というか僕の周りにもものすごい数居る。

夢中になる事は素晴らしい事なんだけど、中心に置くにはいささか不安定な軸かな、と。

誤解が生まれそうな表現だけど、例えば僕はバンドを組んでいたけども決してバンドが中心では無かった。だからこそバンドが解散してもどん底に沈むことなく前を向いて道を歩き続ける事が出来ている。中心に定めてしまうと、例えばふとした機会にその光が失われたときに歩くことが出来なくなってしまう。

 

ライバル中心

ライバルに勝つ事、もしくはライバルを蹴落とす事を中心にしてしまう。割と歪んでる軸。

要はクッパだよ。マリオが居なくなったら存在意義無くなるでしょ、あの人。

 

 

 

 

どれも中心にはそぐわない…?

f:id:hashimoto_neko:20180817161509j:plain

これは別に「アレもダメ、コレもダメ」って言いたいわけではなく。

例えば趣味や活動に夢中になったり熱中したりするのは良い事だしどんどんやれば良いと思う。本気になるのだって構わない。それを人生の中心軸として定めてしまうのはちょっとリスキーかな、という感じ。

 

上に挙げた物はいずれもそうなんだけど、「もしもそれが失われたらどうするのか問題」というものがあって。

環境が変われば友人も変わったりする。恋人だって永遠に恋愛が続くわけではない。芸能人だって引退したりするし、自分以外の人を中心に置くのはリスクもある。

スポーツを中心にしていて、もしも選手生命を断たれてしまったら?モノを中心にしていて、もしもそのモノを失ってしまったら?

 

これは後ろ向きでネガティブな話がしたいわけじゃなくて、そういう可能性があるって話。

そういう物たちを人生の中心軸にするのはちょっと考え物。

 

 

 

じゃあ何を軸にしたら良いのか

f:id:hashimoto_neko:20180817161556j:plain

あんまり何かに依存するようなやり方はオススメしないけど、敢えて中心に乗せるならば「誠実」とか「正直」とかそういうのが良いんじゃないかな。

困ってる人を見かけたら助ける、とか。それって「誠実」という価値観の元でそういう行動が出来たわけだし。

 

そういうのって、いわば善悪で言えば「善」を中心に置くようなもの。

他の物は失われたりするけども、「善」は裏切らない。

中心に置くにはぴったりじゃない?

 

何も難しい事では無くて、自分の中の「正直さ」だったり「誠実さ」を元にして考えや行動を決めれば良い、って事。「感謝」「尊敬」とかもそう。仲間に入れてやってくれ。

しかもこれらは貧富にも関係なく、生まれた土地や国籍も身分・性別・年齢・思想も関係なく誰もが平等に持てる軸。売ることも買うことも出来ないし、奪われることも無い。

 

まずはこれらを軸にして、それから友人や恋人、もしくは自分だったり仕事の事を考えてみても良いかもしれないよ、という僕からの提案でした。