さて、1月7日が過ぎ、もう「お正月らしさ」は消えつつあるように感じる。
実際、1月7日は人日の節供の日であり、松の内の区切りともなる。
学生は学校も始まる頃で、テレビ番組も正月特番から元に戻り、仕事も始まり、日常に近づく。
正月飾りを仕舞うのも、ウチでは1月7日。
地方によって差があるらしく、関東や九州では1月7日、関西では1月15日と云われている。
昔は学校の始業式が1月7日だったことが多く、朝に七草粥と食べて学校へ行っていた。だから七草粥には無病息災の意味合いのみではなく、何となく正月気分の一区切りのような意味合いも感じていた。
この一区切りで正月飾りも仕舞う、というわけだ。
正月飾りは神社に持って行き、左義長で燃すのが良いとされる。
まぁ最近のご家庭事情もあるし、別に可燃ゴミでも問題は無い。考え方次第だと思う。
正月らしいことをしていない
初詣
ところで、今年はまだ初詣に行っていない。行かなければと思っていたが、まぁ例年もだいたい三箇日には行かない。
三箇日に行っても混んでいるし、そもそもあまり人混みは好きじゃない。
とはいえ、年神様がいらっしゃるのが松の内までなので、出来ればそれまでに新年の挨拶に行くのが望ましいとされる。以降、神社に年神様は居ないので、新年の挨拶が出来ないのだ。
が、自分がだいたい行くのは1月前半のどこかだ。
一つ忘れてはならない点として、神社に行く時期ももちろん重要だが、信仰心も重要だ。ただ行ってお賽銭をしておみくじを引くイベントでは無い。
色々な解釈はあるが、旧年の息災を感謝し今年も一年間見守って頂くよう願いを掛けるイベントだと理解している。あれもこれもと欲張って願いを掛けるんじゃあない。
どの神社へ行っても良いが、なるべく自分の住まう土地の神社へ一度は行きたい。
そして三箇日や松の内の期間に行けなかったからといって、決してダメというわけではない。1月後半でも良いし、2月になっても良い。
出来れば年に一回は神社に行き、自身の無事を神様に報せると良い。例えば自分が神様だったらどういう人の願いを叶えてあげたいと思えるか、と考えると良い。
七草粥
今年は七草粥を食べていない。
去年は土鍋で炊いていたくせに、だ。
これは何故かというと単純明快で、スーパーに行く時間が無かったからである。
2024年、開始早々結構バタついている。いつの間にか年明け一週間。こうしてだんだんと時の流れが速くなっていくのか、と実感している。
正月らしいこと、してるじゃん
初詣も行ってないし七草粥も食べていない!と思ったけど、それ以外は割と正月らしいことをしていた。
正月飾り
正月飾りはちゃんと行っていた。門松はさすがに飾っていないが。
昔はこういった飾りも年末に自作していたのだろうか。
飾る時期は28日か30日が良い。28日は末広がりの「八」が付くため。
逆に29日は「苦」が付くため、31日は「一夜飾り」と呼ばれ、それぞれあまり縁起が良くない。
そのため、縁起の良い28日か、消去法で30日が選ばれる。もっと早く27日でも26日でも問題は無い。
鏡餅
そういえば鏡餅も飾っていた。こちらは鏡開きまで飾るので、もう少し正月気分を楽しめる。
こちらも正月飾りと同じく28日に飾った。
おせち
今年もおせちを食べた。またネットストアである。
そろそろおせちを自作してみたい欲が湧いてくる。
献立の手順的にも数日前からスケジュールを立てて計画的に作らないといけないようで、結構大変そうである。
昔はもちろん各家庭手作りだったろうに、年末は大忙しだったことだと拝察する。
正月らしいイベントと日常
正月らしいこと、何か出来ただろうか?
しかし、それどころじゃない人も居るだろう。こういった儀礼的風習は、衣食住や最低限のライフラインを確保したうえで成り立つものとなる。
一刻も早い日常への収束を願い、今のこの平和に感謝し、平穏無事を噛み締める。何事も当たり前は無い。