実家の片づけをするなどしている。
これがまた物が多くて。もうかれこれ3年は誰も使っておらず、かつ3年間も使わない状態でも生活に支障がない物なので、基本的には全部廃棄してしまっても問題は無い。
ただ、まぁほら、思い出の品とかもあるじゃない。これが難しい。
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母は7年前に亡くなり、父は3年前に亡くなった。
母は手芸や編み物、トールペイントなんかが大好きだったから、ハンドメイドグッズが溢れている。
今となっては実用性が無いものばかりだが、父も捨てきれなかったのだろう。そのままになっているものも多い。恐らく幾ばくかは整理したと思うが。
父が亡くなってからは父の遺品も整理しているが、バブル時代に買ったのであろう海外の高そうなレザー製品が出てきたり時計やらよく分からん工具やゴルフクラブもある。
整理すればするほど「はぇー、こんなもの持ってたんだ」となる事が多い。
そして生前に如何に交流をしていなかったかを身に染みる。
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僕はあまり人と交流しないタイプだが、それは家族間でもそうだった。
小学校の頃から親に「今日は学校どうだったの?」と聞かれるのが苦痛だった。別に普通だし、何事も無かった。万事いつも通りで何の事件も無く、恙ない学生生活を送った。
もし仮に何かあっても言わなかった。中学に上がってからはきっと反抗期や思春期のどうのこうのもあり、より話さなくなった。
高校生になったら頃にはバンドを組むなり、お付き合いをするなりもしたが、そういった事も家族には特に話したりはしなかった。
進路の件では大いに揉めた。ここが一番親と話し合った時期かもしれない。
進学せずに音楽をやりたがるという話を出す旨はある程度の察しは付いていたのだろうが、それでもやはり中高一貫の私立に通わせた親の立場からすればすんなりとは受け入れがたいだろう。
そこからはフリーターとして、音楽をやりながらバイトをするなりとフラフラした生活を送った。
いきなり髪を真っ赤にしてきたり、女装みたいな衣装を洗濯していたり、きっと色々な意味で心配だった事だろう。
ちょっとヴィジュアル系バンドで軌道に乗りつつあるとき、リリースしたCDを母に渡したことがある。別に聞くメディアは持っていなかった(まぁDVDデッキに入れれば再生可能ではある)が、きっと大切に仕舞っていたのだろう。ドレッサーにある引き出しには僕のグッズ専用のコーナーがあるのを遺品を片付けているときに発見した。
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多分親の職場とかでも自然と「息子さんは何をしてるんですか?」みたいな話題は生まれるわけで、その度に負い目を感じさせたりしていただろう。嘘を吐いていたのかもしれない。
高校を卒業してから10年ほどの歳月が流れ、20代は本当に好き勝手に過ごした。
結局最後まで親とはあまり交流をしなかったが、親が支えてくれていたお陰だということは無視出来ない。そういった自分の周囲の環境だけでフリーランスや自営業の寿命は大きく変わる。
僕は自分の走り抜けてきた時代を後悔していない。黒歴史でも無い。
この時代が無ければ今は無いし、振り返れば自分の足跡はそこに存在する。例え風がさらい、砂に埋もれても、その「事実」は変わらない。
いや、唯一後悔するとすれば、感謝を伝える相手がもうここに居ないということか。