秋が近づいてきたような気がする。
色々な場面から、少しずつ"秋"を感じる。
台風の進路
最近は温暖化の影響もあり微妙なところだが、夏場と秋には台風の進路に特徴がある。
梅雨以降、日本には高気圧が大きく張り出すことが多くなり、台風は大きく台湾あたりまで迂回をしないと日本に近づくことは出来ない。
このため、九州あたりから接近する台風が多い。
この高気圧バリアが秋になると少しずつ東へと流れていってしまうため、秋に近づくにつれて台風と日本列島の間の障壁が無くなる。
そのため、台風は四国地方や近畿・東海あたりにダイレクトアタックをかましてくるようになる。
秋が深まると、台風は日本近くまで北上する体力がなくなる。
海上の温かく湿った空気が力の源だからだ。温暖化が影響するのもこの点による。
とかいって、今近づいている台風(熱帯低気圧)はかなり西寄りから攻めてきている。
海上はまだまだ暑いのかもしれない。
そういえば北海道かどこかで鰹が獲れているというニュースもあったような。本来もっと南で獲れるものなので、海水温度も結構温暖化の煽りを受けているようだ。
雲の高さ
詳しい原理は割愛するが、季節ごとに「雲の種類」に特徴がある。
夏と言えば積乱雲や積雲。
積雲は「雲を描いて」と言われて書くような形。モコモコの羊みたいな雲だ。空にいくつも浮かぶ、拳みたいな雲だ。*1
これが成長すると扁平雲、雄大雲(入道雲)となり、空の低い場所から高い場所まで大きくモコモコと伸びる夏らしい雲となる。
この雲が発達し雷雨を伴うと積乱雲となる。雲はどこまでも上に伸びるわけではなく、限界まで大きくなると上部がつぶれて平面上に伸びる。これがカナトコ雲と呼ばれ、ゲリラ豪雨の原因となりやすい気象雲である。
これらに対し、秋になると巻雲・巻積雲が現れる。
魚のウロコみたいに細かく点々と散りばめられているような雲なので、ウロコ雲とか呼ばれる。
もう少し大きめの塊がたくさんあるとヒツジ雲と呼ばれる。羊の群れみたいなやつ。
秋の雲は低空にも張り出す夏の雲と違い、空のかなり高い所に出現する。
そのため、一気に空がすっきりと見え、空自体も広く高く見えるようになる。
これがいかにも秋らしい。ジメジメしていた風も、少し爽やかに衣替えしたかのような吹き方に変わり、移ろう季節を運ぶかのよう。
蝉の声
とかいって、全然今年は蝉の声を聴かないのだが、ちょっと木の多い場所へと移動するとツクツクボウシが鳴いているのを聴く事が出来た。他の蝉みたいに単調じゃなくリズミカルな鳴き方なので、ついワンコーラス分聴き入ってしまう。
幼い頃、毎年夏休みに行っていた鹿児島くらい自然が豊かだとヒグラシの声を聴ける。夏休みの終わり、って感じの声で好きだ。
木や自然の多いところでしか聴けない蝉の声の方が好きだが、もしかすると聴きなれていないせいかもしれない。毎日のようにツクツクボウシやヒグラシの声を聴いていたら何とも思わないのかも、とふと思う。
なお、見た目に関しては、ツクツクボウシだろうがヒグラシだろうがどの蝉も等しく嫌いである。
虫の音
関連してるんだけど、夜になるとやれヒーヒーやれリンリンと色々な虫が鳴き出すようになった。
虫も「やっと涼しくなってきたか」と思うのだろうか。我々人類は猛暑だろうが酷暑だろうが空調の整った部屋でのうのうとしているが、昆虫にとってはたまったもんじゃないだろう。
日の長さ
日が暮れるのが随分と早くなったように思う。
「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったものだ。最近の小童どもは知らんだろうが、つるべ(釣瓶)というのは井戸水を汲み上げる時に使う道具の事を指す。滑車にかけた桶をするすると井戸に垂らし、引き上げることで水を汲む道具だ。
この釣瓶をするすると垂らす様子、井戸の深くへとストンと落ちていく様を秋の夕暮れの短さのようだと例えたのがこの諺である。
日が傾いていき、確かに気付けばすぐ夕暮れが終わり夜が深まるような感覚がある。
秋は夕暮れを楽しむ時間が短いような気がする。
これ、理論的に正なようで、日の入り~しばらく明るいまま(薄明)の時間を指す「薄明継続時間」は9月が一番短いらしい。
そのため、暗くなり出してから真っ暗になるまでの時間は確かに秋は早いのだ。夏の薄明継続時間が長かった分、相対的にさらに短く感じるとも言える。
日没時刻も夏より早まり、より一日の終わりが早く感じられる。
秋の気配
大人になって、社会のカレンダーで生きていくと、こういった四季のグラデーションのような移ろいや変化に鈍感になってしまうのかもしれない。
毎日異なる雲の形、毎日違う夕暮れの色、そういったものに毎回驚いていたいし、大事にしたい。
別にそれが偉いとか正しいとかではなく、僕はその感覚を失いたくないし大事にしたいなと思うなどしている。
*1:言うまでもないが、実物は拳サイズではない。