今年をまとめようと思う。
とか言って、どっからまとめたらいいのかねぇ…うーん…。
縦軸で見ていくか横軸で見ていくか悩む。
今年の7月にメインだったバンド「メトロホログラフィー。」が解散しまして。なんか解散してからもっと歳月が流れた感があるけども、まだ半年経ってないんだなぁと。
バンドとしては、そのあとゆるゆるとサポート募集をかけてみたら今のEnder Silenceからオファーがあったので、8月からはそちらでスタジオへ入ったりしつつ10月にライブハウスへ復帰。
ここも体感上もっと間隔が空いてた気がするんだけどなぁ…結局バンドをしてなかったのは1ヶ月半だけだった、という。
バンド活動ってしたくても出来ない人って結構いるのね。活動したくても出来ない=表に出てこないから数が目立たないってだけで、潜在的なバンドマンはかなりの数がいると思ってる。
ゆえにどんな形であれ、表現の機会があるのは奇跡みたいなもの。これは確か前のバンドの時代から言ってた気がする。「個性的なぶっ飛んだメンバーが4人も5人も集まって同じ目標を目指して動いてる」ってだけでもかなりの奇跡だと思うよ。
そんな中で2018年前半は自分のバンドで活動して、2018年後半にはEnder Silenceのサポートキーボードとして活動をして。巡り合わせだったり運だったりタイミングだったり。そういうものが全部重なった結果だと思ってる。
僕は一人でステージに立つつもりは今のところ無くて。もしも歌が上手かったら可能性としてはありえたんだけど、いかんせん僕の歌に旨味が無い。ピッチも取れるし別にヘタでは無いんだけど、じゃあ僕に「ヴォーカル」というポジションが務まるのかというとそこは僕の中でのボーダーラインを満たせていないという。
なので、良くも悪くもステージに立つには仲間だったり同志だったりが必要となる。その点、今年は巡り合わせ的に恵まれたのかもしれない。
とか言って。
人の流れ的な意味では、今年が始まってすぐにギタリストと連絡が取れなくなって音信不通に。残された3人で音楽性や方向性を模索して一致団結して再スタートを切った矢先に、ドラムが負担が増えてどうのこうので脱退を申し出て。最終的に4月の段階でヴォーカルと僕だけで動くユニットのような形態になった。
どんどん人数が減っていったので、そうなってくるとそのバンドのリーダーだった僕がきっとヤバい奴なんだろうなって考えになるのが普通だと思う。だって僕も第三者として状況を見てたらそう思うもん。
でも、分かってる人には分かる話だとも思うので、それで良いのです。色んな見方があるし、僕はその見方をわざわざ矯正したりはしない。分かってほしい人だけに伝わってれば、別に真実かどうかも問わないし、色んな考え方もあるだろうし。
だってそれは分からないじゃない?もしかすると僕がウルトラヤバい奴かもしれないし。
ただ、別に誰が悪いとか何が原因とかそういう話がしたいんじゃないし、それは終わった事なので僕はそこは問わない。
あと、僕はどの時代を振り返っても無駄な時間なんて一切無いと思ってるし、いわゆる「黒歴史」みたいな概念が無い。
たどってきた人生は全部が一本の道となって今に繋がってる。裏を返せば、その道の途中だけを都合よく消したりは出来ない。
過去は自分の背中にずっと付いてまわる。幼少期。育ち。家庭環境。学生時代。全部拭えないもの。
なので、それを踏まえた上で過去をどうにかしたいならば一度過去と向き合う必要がある。後ろにフタをしても解決にはならない。
もっと分かりやすく言うならば、人生は「道」じゃなくて「積み木」なのかもしれない。
1月や2月はライブをもりもりに詰め込んだ。
3daysライブをしたりもしたし、出れるライブにはとにかく出たような印象。
フットワークの軽さも売りだと思ってたし、前日に「明日出れない?」って言われて「良いですよ」って言ったこともあった。
メンバーが2人になってからは更にフットワークが軽くなり、大阪や東京にも久しぶりに行った。割とステージ的にも独創性はあって面白みはあったのかなと思う。そういう点では解散は勿体ないなとも思ったんだけども。
とはいえ、バンドはやはり一人で動くものでは無いし、生身の人間が直接関わる以上は体力的・精神的な都合だったりもある。
「同じ方向を向く事」もさることながら「同じ方向を向き続ける事」の難しさも体感した。
僕はタフであるとともに繊細な作りではないので、細かな傷には気付きにくかったりする。それはやはり自分基準というか自分の立場で考えちゃうからなんだろうなと思う。
かといってその辺も全部察するのは難しい。互いにディスカッションする必要がある。
話し合いは結構多めにする方ではあったし、全員の意見を汲んでいたんだけど、もっとディープな連携をしないといけないなとも思った。
バンドと同時進行で今年から本格的に始めたのが楽曲制作等の裏方。
ステージでのネームと制作や裏方でのネームを分けて、線引きを明確に。ステージでは「琴羽」、裏方や制作では「橋本ねこ」。
今まではちょっとしたお手伝い程度に動いていた制作方面も本格的にお仕事として受注したりしつつ、色々と生きる術を模索しております。
その場にとどまり続けると死んでしまうので。比喩ではなくて。
最近ではデザイン関係やそういう方面の制作、あとは動画も作ってみたりアニメーションも作ったりしてます。専門学校で習うようなスキルを一から、1ヶ月かけて終えるくらいの課程を1日2日で乗り越えております。
今月に入ってからAdobeのソフトを6種類くらいインストールしたばかりなんだけど、もう7割くらい使いこなしています。基本的に「これどうやってやるんだっけ?」が無くなるレベルには持っていかないと仕事にすらならないので。あとはひたすらに速度と少しずつ応用の幅を拡げていく。
Adobeは便利だね。他のソフトだとクリエイティブ性が多少なりとも損なわれるんだけど、Adobeはそれを損なわない。なんだろ、直感的にストレスなく操作できる感じ。
とは言ってもやれる事が多すぎて最初は難しいのかも。慣れれば細かい設定でも何でもいじれちゃう。ちょっとしたオートメーションなんかは数値を指定せずに直感的に動かせちゃうのが良い。逆にパラメーターの数値を細かく指定する事も出来るし。
来年にはAdobe用のパソコン導入しようかなぁー、と。やりたい事が増えてしまって、音楽制作と共用だとそのうち限界が来そう。
という感じで、僕としては2018年は転機の多い年となりました。
でもそれは突然訪れたわけではなく、やっぱり今までのどのパーツが欠けてもきっとそうはならなかっただろうなって思えるものが多くて。
例えばメトロホログラフィー。をやってなかったらEnder Silenceに入ってなかっただろうし。色んな面で「これをやってなかったら今はきっと違う道を歩いてるな」って感じる物が多い。
その道が果たして正解だったのかどうかは問わない。そんな事よりも今この道を歩いている事は事実なんだから、それをもっと豊かにしたりとか次に歩く道だったりとかそういう事を考えていきたい。