ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

年上が年下になっていく現象


歳を取ると、街中で働いている人がどんどん年下になっていくのに気づき、そして驚く。

 

コンビニ店員が年下になった

一番初めはコンビニ店員。二十歳を超えると、彼らって実は年下が多いなと気付く。

このダルそうに対応してくる奴は同い年くらいか、ご苦労さんだな、と。

 

コンビニの業務はそれはそれはもう多岐に渡るため、自分にはまず出来る気がしない。相当な仕事量だと思うが、その割に給与は安そうに見える。

コンビニの仕事は品出し、レジ打ちもこなし、公共料金の支払いや配送物の対応もあり、コーヒーマシンやフライヤーなんかのメンテナンスもある。パッと思いつくだけで既にこれだけある。

実際のところはどうなのだろうか。実は煩雑そうに見える仕事もそうではないのか。いや、とはいえ対面で面倒臭い客と接する機会もあるだろう。十分大変だと思う。

 

まぁ嫌な客が来た時にいちいち気に病んでいたらメンタルが持たないので、流れ作業のようにこなすのだろう。不愛想なロボットのように見えるコンビニ店員も居るが、むしろコンビニ店員の方こそこちらをロボットのように解釈しているのかもしれない。

大学生・高校生のバイトとしていまだに人気な(というか検索でヒットしやすい)業種である。

 

そんな彼らがだんだんと年下になる。

これは不思議な感覚だった。今まで大人だと思っていた人が、自分より若輩者になるのだ。

 

飲食店店員が年下になった

またしばらく経つと、今度は飲食店のアルバイトも年下が増えてくる。

ファミレス、居酒屋、チェーン店。まぁだいたい大学生がメインだ。一部ランチが主体のような店舗はパートさんが多そうだが、体力も要りそうだし学生が多い印象だ。

 

時効だと思うし別にそんな悪い話じゃないので名指しで失礼するが、昔、家族でたまにブロンコビリーに行っていた。ステーキチェーン店だ。

www.bronco.co.jp

そんなさすがにデイリーユース出来るほど裕福じゃなかったはずだが、何かのお祝いとか誕生日とかテストの点が良かったとかそういう系で食べることが多かった気がする。

 

小学3年生くらいの記憶なので店員の顔は曖昧であるが、総じて大人に見えていた。高級レストランだろうが居酒屋だろうが、接してくれる店員さんは僕にとって「店員さん」だし、敬語で丁寧に接してくれるデキた大人のイメージだった。

 

その日もステーキを食べ、大満足でテーブルから出口へと向かった。

ブロンコビリーに行ったことのある人なら分かるが、ステーキ等を焼いているところがチラッと見えるような店内構造になっている。オープンキッチンとまではいかないが、どう焼いているかは見える。

そこで店員が肉を焼きながらトングを打ち鳴らし、「お肉、お肉ぅー」と言っていたのだ。僕は衝撃だった。あの丁寧そうな店員さんが、一体どうしてしまったのか。なんて不真面目なんだと衝撃だった。

次の日、学校で友達にこの話を言いまくった気がする。学校の宿題の日記にも書いた気がする。

 

またある時、これも昔の話であるが、ココイチでテイクアウトだかデリバリーだかをしたときに、家で確認したらルーだったかトッピングだったか失念したが何かしらが入っていなくて、改めて家まで持ってきてもらった事がある。

皆食べずに待っていてくれたので恐らくルーの入れ忘れだったのだと思うが、こちらも衝撃だった。プロフェッショナルである大人がこんなミスをするのか。

 

でも、今思えば、別に当時大学生か、ヘタすると高校生のアルバイトだったのだろう。

別にステーキを焼きながらテンションが高揚するのも、ちょっと袋に入れるオーダーを間違えてしまうのも、仕方が無い。大人でもまだ20代前半であろう。思考の理解は出来る。まぁ前者に関して、仕事中にすべき行動だったかの是非はここでは問わない。

 

美容師が年下になった

20代も折り返す頃、ふと気づいた。

美容師が年下になっているのだ。マジか。これは盲点だった。

 

昔はイケメンやギラついたお兄さんが美容師のイメージだったが、いつのまにかギラついた若造だった。

ギラついた若造ってこれまたショッキングで、自分はギラつくことなく彼奴よりも年上になったのかと思うなどする。いや別にギラつきたいわけではないんだけど。

 

「お兄さんが綺麗に仕上げてくれていた」からだんだん「年下の人が年上の人をどうにか綺麗にする」に変わってきた気がして、ますます美容院が苦手になってきたように思う。

微妙なお年頃なのだ。

 

販売者が年下になった

そしてこれは最近の気付き。

なんか専門店に行って、対応してくれる方が年下なのだ。

別にブランド物でもいいし、家電量販店でもいいんだけど、そういったところで技術的な専門知識を以てアドバイスをくれる人が年下になってきた。

 

昔はそりゃあ大人だし年上だし、知識も経験も豊富で的確でアドバイザーとして優秀な方だと思っていた。

今は自分より若いのに専門的な知識を持ち多角的な視野も持ち合わせていることに感嘆する。

 

ふと、自分が何者でも無い気がしてしまう瞬間がある。

冷静に考えればそんなわけないじゃない。別の分野では何か光るものがあるだろう。僕だってそう。例えグータラ過ごしてきたとしても、何かしらあるはずだ。

でも、不意にそれが曇って見えなくなっちゃうことがあるような気がする。何だろうね。思い出たちも、たまにはちゃんと光るように磨いてあげないと、と思った。

 

これから

これから先、同じように「年上だと思っていたのに年下になっていた」という気づきは生まれるだろうか、と考える。

一つ思いついたのは作業員。エアコンを設置したりしてくれる人ね。今なんてちょっとマッチョめなおっさんのイメージなんだけど、そのうち彼らを抜かすことだろう。

役所の人とかもそうかも。そのうち超えるだろう。

 

怖いのが、年下に対して強く出てしまう事。そんな事はしないし、今後も無いようにしたいが、たまに役所でブチ切れているご老人を見ると、全員そうなれるわけでもないようだ。

しかし、きっとその老人だって好きでブチ切れているわけではないはずなのだ。ブチ切れるのにも体力が要るし、老い先短いのに好き好んでやる所業じゃない。緩やかな自傷と言っても良いくらい。

そんな身を削ってまで何にブチ切れているのか。確かに世の中にはどうにもならないこともある。しかし他の人はブチ切れていないのに、どうにも老人がブチ切れているシーンは目立つ。役所だけじゃない。飲食店でもそう。駅の改札でもそう。コンビニでもそう。郵便局でもそう。

でも、呶鳴ろうが切れようが変わらないものは変わらないのだ。大きな労力をかけてほぼ動かないものにリソースを割くのは無駄となる。

 

若輩者は確かに人生経験は浅い。だが、それを寛容な心で受け止めるのが年長者じゃないか。

芽を摘むような事をせず、リスペクトと愛を持っていたいと思うのだ。