ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

Digging Deep Dimension|第3回:Eustoma

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ドロドリの楽曲公開も早くも3回を迎えた。

楽曲公開についての概要はこちら。

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第1回、第2回の考察記事はこちら。

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さて、今回は「Eustoma」


Eustoma / Draw Daydream During Dawn

 

この曲がバラードかどうかを100人に聞いたら、おそらく90人くらいは「5:とてもそう思う」「4:まぁまぁそう思う」と回答してくれると思う。あとの10人は多分曲を再生していない。聴いて。

 

 

 

Eustoma――独自性の追求の果て

Eustomaでもギターを使っていない。頑なにギターを使わないドロドリ。ギターに親でも殺されたのかもしれない。

 

いや、ギターを使う事によって差別化が難しくなることを恐れているんですよ。端的に言うならば。

ギターを使うと、「●●に似てる」とかなりそうじゃん。ギターを使っている楽曲が大多数な昨今、そういった感想は作り手としては非常に不本意なもの。

その根幹としては「パクりを恐れている」とか「パクりと言われるのを嫌がっている」とかではなく、「既にある物をわざわざ自分が後追いをしてやる必要が無い」である。

 

もう既に証明された数式を、わざわざ時間も手間も掛けて自分がやる必要は無いでしょう。同じ事を制作でも考えてしまう。

制作は何かを失って作るもの。それは時間、痛み、お金、感情…何かを代償にして生み出す。その過程に際して、なるべく"無用なもの"を生み出したくない。

 

 

さて、バラードと言うものは得てして大味である。ドラマで考えてみれば分かりやすいけども、不幸なストーリーを書いて引きずり込むのは簡単だし、ちょっと踏み込み過ぎると大げさでチープな物と成り下がり、白けてしまう。

しかし、バンドやユニットには最低一曲はこうしたスローテンポな聴かせる系の曲が欲しくなってしまうもの。

そんなわけでドロドリでもバラードを作ってみた次第。独自性を追い求めた果ての原点回帰とも言えるし、汎用なジャンルに対する個人的解釈によるアウトプットとも言える。

 

Eustomaのアレンジ

シンプルでストレートなバラードになるように留意。

歌詞も上手い事スッと入るように楽器を華美にし過ぎず、ナチュラルメイク的な仕上がりにした。

 

使用楽器について

使用楽器は、引き続きオーケストラの構成にて。

少人数編成のイメージで、過度なパーカッション――例えばティンパニーやチューブラーベル等は除いた。

 

ストリングスセクションはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロをそれぞれ2人、1人、1人。

シンプルなラインを描き、要所要所にて上手い事ハモる。リードを取ることは少ないけども、印象的なトップノートを通ったりする事で曲を盛り立てる。

 

キーボードパートはエレピを使用。しっとりとしたウーリッツァー系の音色はバラードによく合う。

 

ベースとドラムが唯一バンドらしさを演出。ベースはアップライトのベースをアンプにぶち込んだイメージ。意外とブリブリとした音だが、かなり控えめになっている。

ドラムは意外と手数が多く、「普段はバンドで演奏しているドラマーが1曲だけバラードのRec.を頼まれた様子」を再現している。

 

あとはハープ。これだけである。

なるべく最小限に近い、かつ必要な材料のみで丁寧にアク取りをしたスープのようなイメージで作った。ハープは後から加えたトッピングのナルトみたいな。

 

楽器に関してはとてもシンプルに仕上げた。

盛り上げるにあたって、楽器を多数使ってしまえば造作もない話ではある。

素材を活かした仕上がりにしたかったので、楽器はこれだけに留めた。

 

 

コードワークについて

コードもなるべくしてなったような進行。

Aメロは

F――――C/E――――E♭6――――D――――

B♭―C―C#dim―Dm―B♭――――Csus4―C―

 という流れ。Fから少しずつ下り、後半は上っていって解決。

3つめのE♭6が浮遊感を生む。前半4つのコードは最低音が半音ずつ下がっているので、クリシェとも言える。

後半はⅣ⇒Ⅴ⇒Ⅴ#dim⇒Ⅵmで、よくGLAYで見れる進行(だと勝手に思っている)。

 

Bメロは前半は、

Bm7-5―――B♭―――Am―――Dsus4―D―

Gm―――C―――F△7―――F7―――

となっている。Ⅳ#7-5から始まるクリシェはパッと見ではキー的にNGに思えるが、Ⅱあたりから派生させていけば辿り着く。そこから下り、G#aug(Ⅱ#aug)へ進んでも良いが、下がりきらずにD(Ⅵ)を用いた。

ちなみにここの最初の4小節の下るコード進行は曲の最初と最後にも使っていて、その時は最後のコードをG#augとしている。

その後は僕の好きなⅡm―Ⅴ―Ⅰの進行。最後はメジャーセブンスをセブンスへ半音下げて、続いていく感をプッシュ。

 

 

Bメロの後半は、

B♭―――C/B♭―――Am―――D―――

Gm――――Am―B♭m―――E♭7―――

最初の4小節はBメロ前半と似たメロディであり、本来はBメロ冒頭もこちらのコードになるのが自然だと言える。

2つ目のコードはCに上がりつつもベース音はB♭のまま。この特定の音のみを伸ばす手法をペダルといい、この場合は「ベース音をペダルしている」という。

こんな感じでⅣ⇒Ⅴの流れをⅣ⇒Ⅴ/Ⅳとするのが僕的な好み。特にバラード曲では意外と多く使われる進行だったりもする。

最後、7小節目と8小節目は本来B♭となるところをB♭mとし、浮遊感を演出。その後も本来キーには無いE♭7を使用。キーをA♭としてⅡm⇒Ⅴとする部分転調とも捉えられる。

 

サビは

F△7――――Em7-5―A―Dm7――――Cm7―F7―

B♭――――B♭m――――Am――――D7――――

Gm――――C――――F#△7――――F△7――――

 の12小節。

1~4小節目はよくある進行。Official髭男dismの「Pretender」のサビや東京事変の「キラーチューン」のAメロでも見られる進行。

4小節目は本来C7⇒F△7となるところ。CmにすることでE♭を使う。これを受けて、F△7もF7としてE♭を通る。

1~4小節で続いた進行は5小節目は一旦完結。その後mが付く事でギュッとした切なさを詰める。その後のAmからは4度ずつアップ。最後はFの前に敢えて半音上のF#を通って浮遊感を出す。

特に最後の2小節は理論的に説明したくないなぁ、という進行。音の導き通りに作っただけなので、方程式を作るとその不思議感や独自性が一気に失われる感じがする。しいて言うならCとFの間のワンクッション、経過音の感覚。

 

 

歌詞について

何気ない日常の中に潜んだ美しさについての歌詞。

 

ふと空を見ると、そのコントラストが綺麗だったり雲の配置が美しかったり。

名前もよく分かんない道端に咲いている花が綺麗だったり。

そんな普遍的な美しさの再発見がテーマ。

 

しかもそれは、明日には見れないかもしれない。

青空に浮かぶ雲は二度と同じ配列で見る事は出来ないし、花だっていつかは枯れてしまう。

 

「桜は咲いている期間が短いからこそ美しい」とはよく言った物だが、来年も見れるかどうかは分からない。理由は何であれ、ね。

100%また見れるわけでは無いでしょ?

 

セミが夏に鳴く。

来年もまた、同じようにセミが鳴くだろう。

でも、「たったの一匹も昨年と同じセミは存在しない」って考えると、ちょっと見方や大切さが変わるでしょ。そういう気付き、パラダイム・シフトーーそういったものを込めたかった。

 

この曲を聴いて、何かハッとして見方が変わってくれれば良いな。

今を大切にして生きてくれたら良いな。

そんな思いを込めた。

 

 

時間だって、ずっと経過し続ける。止まらない。

しかし人の記憶はすり抜けてどこかへ行ってしまう。

大事に、大切にしているつもりでも、いつの間にかどこかへと旅立ってしまう。

空を飛んでどこかへ行ってしまう記憶たち。それをなぞって、確かめに行く。

 

「何か」を失って初めて気付ける「何か」もあるかもしれない。

それも立派なパラダイム・シフト。