ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

幼少期の反動と、それをコントロールする自制

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最近すっかり何の人か分からなくなってきました。橋本ねこです。

のんびりとゆるやかに生きています。

 

メキメキ働いて貯金をして…という生き方はどうにも性に合わないようで、のうのうと過ごしている私。

何か具体的なデカいまとまった出費(家とか車とか結婚式とか)を控えていたりするのであれば、もちろん先立つものが必要になる。そうなればお金を貯めなければならない。

もしくは、貯金そのものが趣味となっている方もいるだろう。お金はいくらあったって困らないしね。

 

僕はその辺に関してあんまりこれといったボーダーが無くて。なのでゆるゆるとやってます。あとね、仕事をし過ぎて体調を崩している人を見ると結局「休む事って大事だな」と再認識する。

睡眠時間を削ってバリバリに働いて稼いでも、そのあと体調を崩して寝込んでしまったら結局――って感じじゃない?むしろマイナスになりそう。オーバーワークしないように、無理もしないように。

自分の躰と向き合って、声に耳を傾けて、SOSのサインを見逃さないようにしないとね。自分を一番理解してあげられるのは自分なので。

 

 

 

 

これはあくまでも傾向と統計上の話なんだけど、幼少期に金銭的に余裕のない暮らしをした人は、自分が稼げるようになるとたくさん貯金したがるそう。

幼少期に嫌だったことや抑圧されたことは、大人になると解放される。良くも悪くも。

お金に限らず、遊び、趣味、恋愛…その辺も全部そうでしょう。

 

親が厳しかった家庭で育った子供は、大人になると爆発する。

その抑圧されていた物が閉じ込められていた入れ物の蓋が急に開くから。

よく振った炭酸飲料の蓋を開けたようなもの。もう爆発。

 

まったくゲームをさせてもらえなかった子供が大人になり、自由に使えるお金を自分で稼ぐようになったら、そりゃあゲームを買うでしょう。今までの時間を取り戻すかのように。過去へ向かって猛ダッシュを始めてしまう。

マンガもそう。恋愛禁止もそう。趣味もそう。

 

その上、もしも今まで「勉強しかしてこなかった」ならばさらに暴走するだろうね。限度を知らないから。

子供の頃からある程度ちょっとずつ触れていたとしたら、だんだんと経験として限度が分かってくる。「これ以上ゲームをやると目が疲れるな」とかさ。「宿題をやる時間が無いな」とかさ。

そういうのでだいたいの線引き――例えば一日●時間くらいなら差し障りが無さそう、とかを見極めていく。これは経験によって見極めるモノだと思う。

 

お金だって使い過ぎれば無くなる。お小遣いはそれを学ぶ側面もあると思う。

例えば、「一切お小遣いを与えられずに大人になっていきなり初任給で6桁のお金を掴んだ人」を考えると恐ろしい。絶対全部使っちゃうじゃん。

過度な抑圧は暴走を生む事が多い。

 

 

 

 

 

先日のニュースで「一日のゲームの時間を制限する」的な香川県の条例素案があったけども、僕としてはとんでもない話。

というかそれは各家庭で決めれば良い。条例として介入する話じゃない。

www3.nhk.or.jp

これは一律で決められるものではない。

各家庭、それぞれ個人によって異なる事情がある。条例として制約するならば「1日6時間まで」くらいの緩さにしないと成り立たなさそう。

 

具体的に、例えば「120分やったらどうなるのか」はそれぞれで検証すれば良い。もしかしたら別に支障は無いかもしれない。

抑え込んだところで、どうせ部屋で隠れてゲームをやるんだって。スマホでも高品質なアプリゲームが出来る時代。こんな時間の制約なんてほぼ無意味。

 

 

 

 

 

だからこそ、大人になるまでに「自制」も身に付けなくてはならない。

やりたいことだけをやっているわけにはいかない。それではまだ子供。

自制を覚える事こそが「大人になる」という事なのかもしれない。自分自身で自分の欲求にブレーキをかける。

 

そのブレーキを覚えるためにも、外部からブレーキを与えるだけじゃダメなんだ。

"自制"の字のごとく、自分で制御できるようにならなければならない。

「このくらいなら大丈夫」「これ以上はダメ」という自制、自分の中のルールを増やしてコントロールをしていく。

そのためにはある程度は本人に委ねて任せる必要のある部分もある。

 

何でもルールを与えてしまうのは、ある意味では過保護なのかもしれない。

与えられたルールの中だけで過ごすわけにはいかない。自分のルールを自分で作れるようにならないといけない。