ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

僕が関わった人はみんな幸せになってほしい

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何を絵空事を、みたいな感じのタイトルになってしまった。

でもこれは本当にそう思うんだよね。

 

僕が関わった人だったり、団体だったり、チームだったりグループだったり会社だったり。全部。

何なら(あんまり波長が合わねぇなこの人…)って人ですらもそう願う。

 

 

 

逆に、僕はネガティブな言葉を人に対して発信することが出来ない人でして。

簡単に言えば、他人に対して「失敗すればいいのに」とかそういう事を思えない。

 

理由は2つ。

 

まずひとつめ。

相手に投げた言葉って相手だけじゃなくて自分自身にも幾分か降りかかっているわけです。

いい言葉を投げれば、自分にも降りかかるし、相手からまたいい言葉を返してもらえるかもしれない。それは逆も然りで、悪い言葉って自分にも跳ね返ってくると考える。

だから基本的には使わないのね。

 

もうひとつの理由としては、その時間がもったいないから。

わざわざイライラしたり相手の失敗を願ったりするのは時間の無駄。そんな暇があったら何か英単語の一つでも覚えたほうが今後生きていく上で有用だと考える。

 

 

そんなわけで、僕は幸せを願うのです。もちろん自分も含めて。

みんな幸せな方がいいじゃない。みんなハッピー。それこそ最高。

 

とは言っても。

「みんな」ってのはきっと無理な話で。世界に目を向けてしまうともうものすごい事になってしまうし。

だから僕としては僕の手の届く範囲――つまり、僕の身近な人、関わった人、関わっている人、そういう人たちだけでも上手い事幸せになっていただきたいのです。

 

悲しい思いをする人や悲しい報告は聞きたくないし、僕の周りで言えば夢を追い掛ける人が多いからそういう人たちの夢破れる話ほど悲しいものもないですし。

一つでも減ると良いなぁ、って思うのね。本人はもちろんのこと、聞く側もつらいじゃない。

 

 

 

 

やや本筋と外れる話になるけども、僕は最近ささやかな幸せを感じる事そのものが幸せだったりします。

例えば最近は窓際のひだまりが気持ちいい時期になってきましたので、そこに設置したソファーベッドでお昼寝をしたりします。

平穏無事な日常の中でゆったりと昼寝をするとき、僕は割と幸せを感じます。

幸せと野望や目標は違うからね。僕にとっての幸せはそれくらいの尺度で良いのです。