大晦日。
だらだらと過ごしてたらもうあと数時間で2022年が終わろうとしている。
年越し蕎麦
年越し蕎麦をいつ食べるかに関しては各自あれこれあるので他人には口は挟まないが、僕は「年を越す前には食べ終えておきたい派」である。
蕎麦は短く切れやすいので「本年の悪運を断ち切る」的な意味合いもある。
それゆえ、年が変わってしまうと新年が短く切れてしまうような気がしてしまう。忘年会を年始にやるような。ちょっと違うか。
なので僕は年を越す前には食べておきたいのである。昼に食べるか夜に食べるかは問わない。
蕎麦を買って家で拵えるのも良いが、待ってるだけで出てくる蕎麦屋もまた良い。
蕎麦屋で蕎麦そのものの香りを楽しんだりツユにつけずに塩をちょい乗せして食べる拘りのある諸兄殿には申し訳ないが、温蕎麦をいただくとする。
年越し蕎麦は温蕎麦と決めているのだ。悪いな。
温蕎麦になると蕎麦の役割としては食感やのどごしに尽きる。蕎麦の香りなど汁に負けて感じられない。
めっちゃ嗅げば感じられるが、それがしたいならおとなしく盛り蕎麦にしなさい。
食べる
作法はもう置いておく。好きに食べれば、って感じ。気になるなら各自で今このブログを読んでいるその便利なマシンで調べれば良い。
あんまり知識を付けて頭でっかちになっても、気にしすぎると蕎麦の味が分かんなくなっちゃうでしょ。
今回は蕎麦と一緒に「蕎麦前」も注文しておき、蕎麦が出来るまでの間に一酌引っ掛けておこうと思う。
蕎麦前
「蕎麦前」は字の如く、蕎麦の前に食べるおつまみを指す。蕎麦で使う鴨を使ったおつまみだったり、出汁を用いた玉子があったり。この辺を食べると蕎麦屋の力量が分かるらしいが、だいたいどんな店でもこれらをメニューに掲げている時点でおいしいので安心してほしい。ただ、初めてのお店の味の傾向(濃いめとか甘めとか)を見極めるのには有用だ。
あと、昔は蕎麦を注文してから打ち始めるという変態なまでの拘りようだったため、注文してから出てくるまでの時間は非常に長かった。
そのため、待ち時間に酒を飲み、つまみを食らいながら待つようになった、というのがあらまし。
最近のお店はそんな長く待たされるところも少ない。蕎麦前と蕎麦を一緒に注文すればなんか良いタイミングに調整して蕎麦を持ってきてくれるところも多いため、もう本当に食べたいなと思ったものを食べれば良い。
蕎麦屋には素朴なアテも多く、居酒屋のそれとは一風変わった雰囲気を楽しめるだろう。
今回は「てっさ」「豆腐田楽」を注文した。
日本酒に燗を付けて、ちょいと引っ掛ける。
てっさはいわゆるフグの刺身。てっさは冷や酒の方が合いそうだけど、これはこれでオツなものだ。
蕎麦で締める
そうこうしてると蕎麦が到着。
そうそう、これこれ。この感じ。
海老、かまぼこ、青物、椎茸、玉子が乗っている。別添えで葱もある。結構色々な乗せ物があり、賑やかだ。
ツユは結構濃いめ。飲み干すと塩分が気になるくらいの味だが、これはこれでアリだ。
蕎麦って別にこう、アッと驚くギミックがあったりするわけじゃないじゃん?
素朴な味を、素朴なままに。そこには「めっちゃ旨い」はなく、「そうそうこの感じ」とほっこりする安心感が存在する。
今年も無事に終わり、お陰様で流行り病とは無縁(というか断絶された環境)で生き延びる事が出来た自分を「しめしめ、今年もよくやった」と誉め称える。それはまさに勝利の美酒と美食による饗であり、自分のための贅沢でもある。
来年も自分を甘やかしていこうと思う。
自分が自分を認めてあげないと、と思う。ハードルが高いのは成長を促すため、良い側面もある。しかし、そのハードルが高すぎるばかりに誰からも認められていないような錯覚に陥る事もある。
その「排他」ですら厭わないならば問題無いが、まずは自分がしっかり自己と向き合い、認めてあげたり許してあげたりするのが大事じゃないかなと思う。
あとがき
蕎麦、食べた?
カップ麺で済ませる人もいるだろうし、スーパーで麺を買って家で作る人も居ると思う。
毎日のルーティンがある人も居ると思うけど、年越し蕎麦は言うなれば僕の大晦日のルーティンのひとつ。
穏やかでのんびりとした新年を迎えようと思う。
今年も一年、ありがとうございました。