小学校2年か3年か、いや、もしかしたら4年かもしれない。
ことわざ辞典みたいなものを熱心に読んでいた時期があった。
ことわざが五十音順に縦書き3段組みで並び、ときおり挿絵があったりして。
河童が川に流れている絵、馬に向かって念仏を唱える絵、などがあった気がする。
あった気がするが、もう過去の記憶なので随分と曖昧になってきている。挿絵もときおりだったのか、実は全部に入っていたのか、そもそも本当に縦書き3段組みだったかどうかも怪しい。
しかしそんなことわざ辞典の中でも鮮明に、明確に覚えていることわざがある。
ある、というか最近ふと思い出したのだ。
それは「親孝行したいときには親はなし」というものだ。
親孝行したいときには親はなし
記載のある辞書・辞典によって若干の表記ゆれがあるが、概ね意味合いは同じであり字の如くそのままの意味である。
挿絵も覚えている。3コマくらいの構成で、親が畑仕事をしたりしている横で子(といっても成人していそう)がダラダラしたりギターを弾いたりしているコマが2つ続き、最後のコマでは子が花束を持ちながら両親の墓前で涙する、というものだ。
当時これを読んだ小学生の僕は、ちょうど「寿命」に敏感な時期だった。
人を含む生物はやがて死ぬらしい、実は地球や太陽にも寿命があるらしい。そして死からは逃れられないらしい。
定められた運命や死が怖くて、受け入れられなくて、悲しかった。
当然、このことわざもある種残酷に映り、自分はこうならないようにするぞと思ったものだった。
大人になって
最近、ふとこのことわざを思い出した。きっかけは分からないが。
でも僕はまさに全く親孝行が出来ないままだったなと仏壇の前で悔いた。
ここ数年で、やっと社会的にというか周囲との関わり合いが下手じゃなくなってきたかもしれないと自分で思えるようになってきた。
それでもまだあまり他者には興味が無いけど、やっと自分の中でほんのりと人間らしい土壌が出来てきつつあるのかもしれないと思い始めた。いやぁ遅い。
両親には僕の立派な姿を見せることが出来なかった。まぁ今が立派なのかと言われれば議論の余地はあるが、当時親が見ていたダラダラとした僕の姿よりはマシなはずだ。
ダラダラという表現に一つ、注釈を入れる。別に活動をダラダラとしていたわけではない。常に真剣で、本気で、真面目だった。しかし結局、最後まで自分の曲もステージも親には見せたことが無かった。だからこそ、親の視点から見ればダラダラしていたように見えたと思う。
いや、子なんて生きているだけでも嬉しいのかもしれない。
犯罪にも手を染めず、ギャンブル依存症でもなく、まぁちょっと普通の仕事はしていないようだけど、なんか楽しそうにはしている。それだけで良いのかもしれない。
その感情は今の自分にはまだ分からないが。
でもそれを僕の立場から決めてしまうのは違うわけだ。ふくよかな人が自分から「ほら私って太ってて~」と自己紹介するのは良いが、それを聞いた人が「そうだね、太ってるね」と返すのがご法度なのと似通う。
ここに対して、もう親がいない以上僕が何か変える事は出来ない。
でも、きっと失わなかったら気付かなかったのだろうなとも思う。
親が亡くなって失ったものもたくさんあるが、得たものも大いにある。
振り返ると、親の影響や用意してくれた環境って大きかったなぁと思える。
こう思えること自体、非常にありがたいことである。噛み締め、肝に銘じ、感謝をしながら生きていかなければならないほどの贅沢品である。
それを親に感謝したいんだけど、もう伝えられないんだよなぁ。