ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

梅雨とお香のマリアージュ


お香を買った。

このブログでは言及していなかったが、香りモノの中ではお香が一番好きだ。

 

 

精油によるアロマテラピーは何かと準備が大変で。

キャンドルを都度消費するのも個人的には煩わしい。アロマオイルの量と燃焼時間がズレるのも気になる。

電気式による温めかミスト化させる手法もあるが、こちらはメンテナンスの手間がある。

 

キャンドルで燃すのならば、そもそもアロマキャンドルはどうだろう?と思いアロマキャンドルも試してみた。

これはキャンドル全般で言えるデメリットだが、短時間の燃焼は不向きなため数時間点け続けることになる。ちょっと点けて消して…を繰り返すとロウの溶け方に偏りが生まれ、綺麗に使い切る事が出来ない。そしてコストが高い。

香りの漂い方は好みだし、様々な香りがあるのは良い点。

 

ディフューザーも試した。

見た目がオシャレで良い。玄関に無意味に置いておきたい。

ただし、香りの発散力が最高に低い気がする。気がする、というのは前述の2つと違って"常に香りを出し続けている"から。

スティック数で強弱は替えられるがオンオフは無いので、ちょっと今日は違う気分だなって時に変えづらい。

 

ドラッグストアとかで買える消臭元、消臭力なんかも広い括りではディフューザーと言える。香りの元を吸い上げるのがスティックか紙かの差である。

こちらも強弱は替えられるもののオンオフが無い。

 

様々な香りモノを試し、それぞれに結構どっぷりと浸かった。

全てある程度しっかりと使用したうえで、「うーん、やっぱり違うな」となったのだ。

これらはきっと人によっても合う合わないはあるだろう。

 

そんな僕が行きついたのは、お香。

お香もかつては一回通り過ぎた。灰が出るのと煙たいのがデメリットだ。

しかし、長くて30分程度で燃え尽きるお香は色々な気分に合わせて使い分けがしやすい。

空気がこもるとどうしても煙たいので、換気が必要。一時期は"香りの濃さ"のようなものを重視した時期もあったが、適度な換気により"残り香"となるのがこれまた趣があると感じるようになった。

 

新しいお香

もう6月になった。

6月といえば梅雨。お香も季節によって、それらしいものを焚きたい。

 

お香というとお線香のようなお寺の香りを想像しがちだが、インド系のお香然り、外国産の鮮やかな香りのお香――いわゆるインセンスというやつも随分と身近になった。

インド系のお香はヴィレッジヴァンガード等の雑貨店で買えるし、アメリカのインセンスである"ガーネッシュ"はドン・キホーテなどでも購入できる。

 

香りの種類が抜群に多いお香。しかし、なかなか6月の梅雨を表現したお香は外国産では難しい。雨に濡れた石畳、みたいな香りはあるんだけどね。ちょっと違う。

今回は梅雨っぽいお香を紹介してみようと思う。

 

松栄堂 / 源氏かおり抄 花散里 20本/880円(税込)


松栄堂の出している「源氏かおり抄 花散里(げんじかおりしょう はなちるさと)」を紹介する。

花散里とは

花散里というのは文字通り花の散る里(もしくは宿)のこと。源氏物語の第十一帖の名でもあり、登場人物の名前でもある。

橘の香をなつかしみ時鳥(ほととぎす)

花散る里をたづねてぞ訪ふ

――源氏物語 第十一帖「花散里」より

この歌を詠んだのは源氏。"橘の香りを懐かしむ時鳥"というのは源氏自身の例えだと思われる。

橘の香りは昔の人を思い出させるアイテムであるため、「昔の香りを懐かしんで花散里へやってきたのです」という意味であると考える事が出来る。

 

もう一つ深く突っ込むと、万葉集には次のような歌がある。

橘の花散る里のほととぎす

片恋しつつ鳴く日しぞ多き

――万葉集 第8巻 1473番歌 / 作:大伴旅人

この橘の花とほととぎすの結びつきを踏まえて読んだのが先ほどの歌だと思われる。メタファーというかアンサーソングというか。これを本歌取りという。

 

失った人を想う、そういう心を誰かとシェアしたい――そういう思いで花散里へ来たのではないか、と。

 

香りにはプルースト効果がある。

ふと漂った香りで記憶がフラッシュバックする。これはきっと誰にでもあるだろう。

しかし体験ありきなので、かつて同じ環境にいた人にしか共感できない話となる。

橘の香りを誰と共感し合うのだろうか。そういう点から広げていく余白がまた趣きがある。

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橘の香り

話をお香に戻す。

この"花散里"は橘の香りをイメージしたお香だそうな。

橘は唯一の日本原産の柑橘類らしい。あれ、ミカンとかって違うんだ…。

柑橘系植物の特徴であるしっかりとした緑の葉と白い花を持つ橘。

ちなみに実は酸っぱく、とても食べられたものではないそうな。

 

果実は食べないけども、古来より愛されていた植物であることは確か。家紋にもなっているし、苗字としても存在する。

開花時期は5月~7月。まさに今。

 

香立てと香皿

香立て・香皿もセットになったものを購入。

手作りの京焼陶器。巻物のような香皿と、二十日月の形をした香立て。

 

香皿はまるで巻物のような形をしており、それぞれのお香ごとの物語を読み解いていくようなわくわく感を演出してくれる。非常に良い。

左下の植物は橘だと思われる。飛んでいる鳥も恐らく時鳥であろう。

 

月について

二十日月の形をした香立て。なぜ二十日月なのだろうか。

 

30日周期(厳密には29.5日だが、簡単のため30日とする)で満ち欠けを繰り返す月は、昔の日本に於いては太陽より重要な基準であった。

おとぎ話の舞台ともなる神秘的な存在であり、カレンダーであり、時計でもある。

 

月は24時間かけて地球の周りを一周するので、12時間をかけて地平線から地平線を移動するということになる。

満月はちょうど夜中12時頃に南中となる。夜6時に登り始め、朝6時に沈む。

満月よりも月例が浅いとより早い時間に、満月以降はより遅い時間に月は登り始める。

新月は満月の真逆で朝6時に登り始め、夜6時に沈む。つまり30日間で24時間のズレを生んでいることになる。月が昇り始めるのは1日ごとに48分程遅くなっていく計算だ。

 

月は日数で呼ばれる事が多く、例えば満月は周期の丁度半分である十五日。十五夜はここから来ている。

三日月は現代でも普通に使われるし、難読漢字で有名な十六夜(いざよい)も16日目の月の意だ。

 

さて、本題の二十日月とはどういうものかというと、満月が1/3くらい欠けた状態の月である。まだ半分よりは多いので、ぷっくりとした形である。

別名更待月(ふけまちづき)と呼ばれ、夜が更けないと昇らない。先ほどの計算で当てはめると、満月から5日経っているので、4時間遅れて昇る――つまり22時あたりでやっと地平線から昇ってくることになる。空高く昇るころにはすっかり真夜中である。

 

街灯も何も無かった時代である。夜の娯楽も無かろうに、普通なら寝ている時間だろう。

そんな時間に、夜空を見上げ二十日月を眺める。一体どんな思いだったのだろう。

夜6時から昇ってきてくれる満月と違い、わざわざ起きていないと見れない月の形である二十日月。思いを巡らせていたら夜が更けてしまったのだろうか。

 

灯してみる

お香の色は鮮やかなグリーン。

点ける前から甘い香りがする。LUSHのロックスターのような。もしくは駄菓子のチューブに入った、噛んで食べる砂糖菓子のような。

とはいえ過度な香りはせず、穏やかで包むように香る。

点けてみると、甘さと爽やかさが一体となった香り。これが橘の花の香りか、と思いを巡らせる。

ちょっと遠くで灯しておくと、フワッと甘い香りが飛び込んでくるときとの緩急があってそれがまた良い。

国内メーカーなので香りもキツくなく、しっとりと落ち着きたい夜にぴったり。

湿度高めな日、雨の日にも合う。月はいつ出るのかなぁ。

 

そういえば橘の花言葉は「追憶」。

これはたまたまだろうか。

 

松栄堂 / 季節の風 涼暮月 20本入 / 880円(税込)


続いて、同じく松栄堂の出しているお香を紹介。

「季節の風」シリーズより「涼暮月(りょうぼづき)」。

涼暮月について

涼暮月は「りょうぼづき」、もしくは「すずくれづき」と読む。

水無月等と同様に陰暦6月の異名であり、「涼しい暮れ方の月」ということ。つまり、「涼しい夕暮れ時が続く月間」である。同様の意味で、弥涼暮月(いすずくれづき)という言い方もある。

 

陰暦での6月なので、今とは若干ズレがある。

今の太陽暦で言うならば、梅雨の半ば~終わりあたり。雨が降れば日照時間は短くなるので気温が上がらない。それゆえ日中もそうだけども夕暮れ時も涼しい。

敢えて夕暮れ時にクローズアップするあたりに風情を感じる。

 

――というのが通説だが、「涼しいまま日が暮れていく月」という含みもあったのでは、とも思う。

朝からずっと雨が続き、涼しいまま。何なら一日中空を雲が覆っているから、日が暮れているのかどうかも分からない。

そう考えると「(日ではなく)涼しさが暮れていく月」というのもアリかも。個人的にはこれも推したい翻訳である。

 

灯してみる

パッケージを開けてみると簡易香立ても入っていた。地味にありがたい。

ヘビーユーザーにとっては香立てが溜まっていく一方となってしまうが、気になるお香を買ったときに香立てが無ければ使えない。

インド系お香のように難燃性の素材に香り成分が塗り付けてあるタイプならば良いが、全部が燃えるタイプのお香には香立てが必須。それに気付いてからわざわざ買い足すのも興ざめである。

 

お香の色は予想に反して鮮やかなベージュオレンジ。

素材の色味のせいだろうか。雨雲に隠れて見る事の出来なかった夕暮れへの憧憬だろうか。

炊いてみると、ややスモーキーな香りがして線香らしさもある。お寺感が出るまではいかないけども、思っていたよりもチルな香り。

 

清涼感と落ち着きの同居。苔むした石に雨粒があたり、乾く事無くずっと湿っているような風景が浮かぶ。きっと元はライトグレーであろう石が黒に近いダークグレーに染まる。

 

先ほどの「花散里」が雨の夜だとすると、こちらの「涼暮月」は雨の昼。

雨が降ったり、弱まったり。移ろう雨足の中でも太陽を垣間見ることは出来ない。日差しはもう少し先の季節のお楽しみ。

 

まとめ

余談ではあるが、個人的にはお香とクラシックが意外と合うと思っている。

花散里にはドビュッシーを、涼暮月にはショパンあたり、いかがだろうか。

雨×クラシック×お香――没入感もあって、良い気分転換になること請け合いだ。

 

香りも気分や季節に合わせて上手く使い分けて、気分を上げたり落ち着かせたりと良い付き合い方が出来れば素敵。

僕はせっかく四季というメリハリがあるのだから、それを存分に享受したい派。全部の季節が好き。

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