ドロドリの日。
2週間ぶりである。
御唄屋邑咲さんは体調を崩しやすいので、だいたい2~3週間に1回しか現れない。
御唄屋邑咲さんは、僕のものさしで測るならば恐ろしく体力の低い人。
対して僕はとてつもなく体力や免疫力があると自負していまして、風邪すらももう5年前に引いたきりな気がするレベル。
ゆえに低気圧やら風邪やら頭痛やらを「ははぁ、次から次へと大変ねぇ」と思う事しか出来ない。
それは別に体力がある事の自慢でもなんでもなく、事実として「想像する事しか出来ない」のである。だって体験したこと無いんだもん。風邪なら分かるけど。
例えばそれはメンタルでも同じで。
僕のメンタルはミスリルなので、ちょっとやそっとじゃ何とも感じないし動じる事は無い。
ゆえに「え…そんな事を気にしてるの…」みたいな他人の話も結構聞くし、繊細な話はよく分かんない。
これも別にメンタルが強い事を誇示したいわけではなく、事実として「感じ取る事しか出来ない」という。ある種の鈍感である。
かく言う僕とて、色々と乗り越えてきた結果としての今であり、それは他のスキルと一緒で磨いたものでもある。
かつては夏休みと冬休みには必ず風邪を引いちゃうほどだったし、ストレスで胃に穴を開けた事もある。
原因とかの詳細は割愛するけども、これじゃいかん、って事でなんとかしたわけです。
自分で動かす方を選んで良かった。動かさない選択肢も、もちろん存在した。
僕のマインドとしてはその時に一旦死んだようなもので、今は第二の人生のような捉え方をしている。この話は今までした事が無かったかも。
それが僕のある種の達観であり、冷めた部分でもある。
そこからよくぞペシミストにならなかったな、と我ながら思うんだけど、きっとそれは僕が打算的で合理的な事以外が嫌いだからだと思う。というかそうしないと延命出来なかったから、本能的にそうなったのかもしれない。
ペシミストで得する事は無い。メンタルが弱くて得する事も無い――そういう考え方が生まれたのは僕の中での大きな変化だったかも。
現状維持ならば分かるけど、停滞は嫌い。
一般的なレールもいつしか苦手になった。きっと苦手な人の足跡が多く付いていたからだと思う。これから先も同じ水槽はきっと息苦しく感じるんだろうな、と思った。
そうこうしているうちに、いつのまにか居場所が出来ていた。
自分で作ったのか、作ってもらったのかは忘れてしまったけど、気が付いたらステージの上で自分の曲を演奏していた。
自分の実力で、というのもおこがましく感じちゃう。かと言って運だけで進んできたわけでも無い。
色々と僕の中でも変化は起こり続けている。
他人に興味を持たないのは防衛本能だったけど、昔よりは人と関わるようになった気がする。
同じ道でも、今歩くと違って見えるんだな。