ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

僕は友達が少ない。

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「こいつ地元は千葉で高校は沖縄だったからさ、名古屋に知り合い居ないんだわ。だから寂しいと思うし、お前も仲良くしてやれよ」

ボーカルにそう言われ、肩をポンと叩かれた。
多分、僕は肯定を示す言葉を返したのだと思う。

 

僕が加入したバンドのベーシストは、どうも仕事の都合で名古屋へ来たらしかった。
多分、異動?ってやつ。で、名古屋で仕事をしながらバンド活動をしていた。

今までそんな目線でそのベーシストの事を見たことが無かった。どちらかというといわゆる「いじられキャラ」であり、面倒見もよく、東京でライブをしてメンバー全員が疲れてるときに帰り道を黙々と運転してくれたこともあった。

地元が千葉で沖縄の学校に行っていたことも知っていたけども、どうもそういう目線で彼の事を見たことが今まで無かった。確かに言われてみれば、社会人になってから友達を作るのはそれなりに苦労すると思う。そういう社会人サークルなり合コンなりクラブなりへ足を運んで交友範囲を広げないとなかなか難しいのかもしれない。

 

僕は友達は当時からごくごく少数だったし、友達が少ない事に対して何も不満も不足も感じなかった。寂しさも無いし、不自由さも無い。
だからボーカルに言われた「彼の寂しさ」はあまり理解できなかった部分もある。とはいえ仲良くしない道理も無いので、きっと当時の僕は肯定を示したはずだと思っている。

 

 


 

僕は友達が少ない。
新しく作ろうともあまり思わないし、遊びに行ったり旅行したりするのも一人で行けちゃう。
確かにスポーツやそういうアクティビティは一人じゃ難しい物もあるけど、そういうのをやりたい欲求も特に今は無いので、不自由していない感じ。
悩みを誰かに相談することも無いし、一人で食事に行くことに寂しさを覚える事も無い。

むしろ友達にわざわざ連絡を取ってそういうののために呼びつけたりするのもなんだか悪いような気がしちゃって。
そうやってどんどん連絡も取らなくなるので疎遠になる友達が多い。でも、別に連絡帳の人数をステータスだと思っているわけでもないので、全然それも寂しくなくて。

 

友達に関しては、本当に必要な人だけいればいいや、って思ってる。

結果的に僕が友達と呼んでいるのは高校時代の同級生数人だけだ。でもそれを元クラスメートというカテゴリーで括ってしまうのであれば、それはそれで括れてしまうなって感じ。
友達ってなんだろう…。僕としてはバンドメンバーも対バンしたバンドマンも友達ではない。前者は「バンドメンバー」であり、後者は「同業者」「ライバル」「たまたま同じ肩書きをもった他人」のいずれかである。そのカテゴライズの範疇を出る事はない。

 

 

最近の僕は家で仕事をしていることが多いし、あまり他人と交流することもない。
ますますコミュニティが狭まっている。

元々「友達ってどうやって作ってたっけ…」って感じだったのに、今ではさらに拍車が掛かってしまい「友達の定義ってなんだったっけ…どうやったら友達と呼べる関係になるのか…」というディープな話になってきてる。

でも、きっと本来は違うんだよな。友達ってなろうとしてなるような感じじゃないよね。
何度か会ううちに打ち解けて、遊んだり食事に入ったりするようになって…って感じでいつのまにか友達と呼べる関係になってるんだと思う。

 

 

本当は分かってる。
分かってるんだけど、優先順位が恐ろしく低いんだよね。