転校してきた彼はさっそくいじめに遭ってしまった。
「ああ、まぁそうなるよなぁ…」と僕は冷静に考えた。当時小学四年生。10歳。自分だけしか考えられなかった時期を越えて、周囲の事や家庭の事を考えたり自分と比較しだす年齢だ。そんな折にアメリカから仕事の都合で日本に帰ってきた帰国子女。普通に日本語は喋るんだけど、文化も振る舞いもまったく違う。不適切な言い回しだけど、完全に標的だよね。
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転校してきた当時の、最初のうちは面白がってみんな話してたんだけどね。
「ねぇ!英語喋ってみてよ!」とか「アメリカってどんな感じなの!」とかさ。
でも僕もこの歳になって振り返って推測してみると分かるんだけどさ、親の仕事の都合で数年アメリカに行って帰ってくるだけだと10歳そこらじゃそんな別段英語も喋れないだろうし、変に向こうの文化が染みついちゃっただけだろうしほとんど感覚は残ってないよなぁ、と。
案の定、英語を喋るにしろ挨拶くらいしか言えないわけ。もちろん発音は良いけど、求めてる物はきっとペラペラと喋る難しい未知の単語だったりする。でも逆に10歳の日本人でも難しい日本語を話すのって大変だったりするじゃん。まぁまぁの無茶振りだよね。
アメリカってどんな感じって言われても、ねぇ…?うまく説明できないよなぁ…。
というわけで、彼は周囲からの質問の期待に応える事が出来なかった。
質問は毎日続き、しかし周囲の期待に応えられる率は圧倒的に低かった。その体験が彼自身の自尊心をだんだん損なっていき、口数は減っていった。するとちょうど質問に飽きていた周囲は他の手段で反応を試すようになった。
要するにいじめが始まってしまった。
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僕は彼と通学路が一緒だった。
通学路、と言っても僕の家から学校まではまっすぐな道が50mあるだけ。
そのまっすぐな道の途中に彼の家がある。とはいえ別に小学四年生は集団で帰るわけでもなく、自由にめいめい帰るスタイルだった。
たまに意図的に、一緒に歩いたりしてみた。
なんか会話もしたと思う。
しばらくしたのち、彼の家に入ったこともある。
入口にバスケットボールのゴールがある庭。庭というには狭い、車が2台停めれる程度のスペースだけど、でもなんとなくアメリカンを感じた。アメリカの何たるかも知らなかったけど。
家の中は段ボールだらけでお世辞にも片付いてるとは言えなかったけど、家族も丁寧にもてなしてくれた。
家の中にはピアノがあり、親がピアノのレッスンをやったりもしているそう。そして彼はバイオリンとギターが弾けた。
そこから音楽の話に華が咲いた。
将棋も一緒にやったり、逆にチェスを教えてもらった。
ギターをアンプで鳴らしたのも初めてだった。
何もかもが新鮮で、2人でよく笑ったりした。
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「ギター弾いたことある?」
「無いなー」
「じゃああいつの家行こうぜ、ギター弾けるよ」
「ほんと??」
って感じでだんだん僕は彼の家へと人を連れ込んでいった。
彼はちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうにギターやバイオリンを弾いてくれるんだ。
その後、僕は違う中学校へ行ってしまったので、彼を含めたほとんどの人たちと疎遠になってしまった。
でも、その後中学校でバンドを始めた僕にとって、その小学校での体験は大きい物だった。実際彼にギターを弾いてもらったこともあるしね。
大人になった今、彼が何をしてるのかは分からない。
僕がそのままバンドにのめりこんで、今もまだ音楽をやってるって言ったらびっくりするかなぁ。