ねこらぼ( 'ω')

名古屋でこそこそと活動っぽいことをしている橋本ねこのブログ( 'ω')

花が咲かせられないならば、根を伸ばす

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新型コロナウイルス、COVID-19が猛威を振るっている。

日本でも遂に緊急事態宣言がなされ、ここ愛知県にも明日にも緊急事態宣言が出されるとか出されないとか。

 

非常にシリアスな局面。

多くの仕事が仕事にならず、医療現場は混乱と多忙を極め、程度の差はあれど直に影響を受けない人はほぼ皆無だと考える。

誰もが他人事ではなく、かつしっかりと情報を見極めていかなければいけない。

 

 

 

仕事に関しては、中には失業・廃業に追い込まれた人も多いだろう。僕の知り合いでも数人はほぼ失業状態に近い。

特にサービス業、人と人とのやり取りを以て生業としている業種は壊滅的な打撃を受けている。

 

厳しい言い方をするならば、そのリスクも折り込み済みでの仕事、ではある。例えば漁業ならば海が無ければ仕事にならないし、魚がいなければ仕事にならない。海、そして海産資源がある前提の上で成り立っている仕事と言える。それが無くなるリスクも心のどこかには置いておいて然るべきではある。

でも、それで切り捨ててしまってはあまりにも愛が無い。理想論ではあるけども、なるべく悲しんだり涙を飲む人が最小限となるような世界であってほしい。

 

とは言えビジネスは需要によって成り立つものである。

今までも需要が少ないにも関わらず供給過多で狭い範囲での取り合いをしながらなんとか成り立ってきたような仕事のカテゴリーならば、きっとこの数ヶ月でさらに需要は減るだろうから、当然供給サイドも減る。

もしくはそもそも経営が成り立っていなかったような、自転車操業的なビジネスも消えていくだろう。

それは草食動物を食べて増えすぎた肉食動物たちが、今度はエサが無くなったために数が自然と減っていく様子にも似ているように思う。サバンナ的な。

 

 

いずれにしても、なるようにしかならない。

流れに逆らって、抗い続けてもきっと体力が持たない。

かといって、流されればそのまま風の中に消えていくだろう。

 

この土砂降りの雨も、何も見えないような夜の闇も、永遠に続くわけでは無い。

でもきっと皆そんなことは分かっている。

そうじゃなくて、今現在のこの土砂降りの雨に耐えられるかどうかという話である。

「土砂降りの雨もいつか上がるよ」って綺麗事だけで河川氾濫の被害を食い止められるわけではない。

 

 

 

 

まずは予想だにしなかった事件が起こっても無事でいられるために、盤石の土台が要る。

花を咲かせるためには良い土が必要だ。

 

現在、中々花を咲かせられない、もしくは収穫が出来ない状態だと思う。

ならば、土壌の見直しをしたり、知識を手に入れたり…と、そういった土台の部分を意識したい。

だってどうせ花は咲かせられないんだもの。無理やり咲かそうとしたらどうなるか――もしかすると茎や根の部分もやられてしまうかもしれない。

それよりも、根の部分がしっかりしていれば、またやり直しだって出来るかもしれない。

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あと、お小言みたいになってしまって大変恐縮ではあるんだけど、どうも「一点買い」みたいなビジネスをしている人が多いような印象を受ける。

そうじゃなくて、その畑で色々な作物を育てれば良いじゃない。ある種は乾燥に強く、ある種は寒さに強く…みたいなさ。そしたら何かイレギュラーな事案が起こっても、どれかは生き残る。

 

生物の進化もそういう道を辿っている。

最初はアメーバみたいなものが、自分のコピーを生んでいた。でもそれだと環境が激変すると全て滅んでしまう。そこで遺伝子を混ぜて色々なタイプのものを作るように進化した。

そうやって多様性を持たせると、有事の際に役に立つ。

 

具体的には、先述の漁師であれば、魚の解体技術も身に付けておくとか、魚を使った料理に詳しくなっておくとか、人脈を作っておくとか。いずれも、もしも魚が捕れなくなっても役に立つだろう。

漁師のみ!勉強も政治も暮らしの仕組みも何も分からん!では、じゃあ例えば体を悪くして漁に出れなくなったらどうするのか、という話である。

 

 

 

 

ここから先は精神的にキツい時期が続くのかもしれない。

何もかも空回り、全部ダメな方向に進んでしまうような感覚に陥るともうそこは負のスパイラル。

 

ニュースでは連日気が滅入るような内容ばかり。

そうそう、ある程度必要な情報を入手したらそういったメディアは遮断した方が良い。ずっと同じような情報を聞くと世の中全てがあたかもそうであるような錯覚を起こす。

一日のうち、数時間はメディア離れをすると良い。

 

落ち込んだりすると、他の良くない事を結び付けて「あれもダメ、これもダメ」となりがち。

そんな中にひそかに良かったことも居たはずなのに、うまく気付けない。そんなときは一回その視界を狭くしている"もや"を取らないといけない。何もかも忘れてゲームに没頭するもよし、気分転換をするもよし、体を動かして発散するもよし、音楽を聴きあさるもよし。

 

 

ネガティブは負の感情を食い物にして増幅する。

そんなものに、自分を明け渡しちゃいけない。

 

今、しっかりと耐えて根を広く張って盤石の土台を得た者が、最高の花を咲かせることが出来る。

今は言うなれば冬の時期。厳しい冬の時期に登山に行ったり泳ぎに行ったりする人はいないでしょう。しっかりと蓄えて、来たる春にワクワクしながら過ごす。

冬には冬の過ごし方があるはず。正しく乗り越えていきたい。